【富士町柚の木地区】 歴史と異文化理解Aレポート
1TE96590 熊沢直之 1TE96588 北野公太郎
しこ名 ・ながはたけ…田、畑 ・ひついし(棺石)…山 ・たけ(竹)…山 ・おぼうし…山 ・だいら ・きょうのくま…山 ・ゆの木がわ…川
バスを降りたのが10:45ぐらいでそこから柚木までは、2kmと書いてあった。しかしそれは登り坂で、なかなか人家も見えずつらい道のりだった。そして30分ほどたってようやく村みたいな所が見えてきた。柚木についたのは11:15だった。そして、まず入り口の神社の横の公民館で休んで、11:30ごろに聞き込みに行ったが、食事前ということかどうかわからないが、だれも何も教えてくれなかった。だから、1時まで待つことにして公民館で休みながら作戦を考えた。 まず、古老を探すために、道にいた人に「この辺りで、古いことにくわしい人はいますか」ときくと、そこの家の人を教えてくれたが留守だった。仕方がないので、その近くの家へ行ってみると、おじいさんとおばあさんがた。そこで、しこ名のことを聞いてみると、始めは田のことは「たんなか」というと言っていたが、一つ「ながはたけ」というのを教えてくれた。他にも、この辺りは水が少なくて、一昨年の旱魃の時には議会にかかったといっていたが、どうなったかは教えてくれなかった。また、昔は水車があったが県道ができて、なくなったと言っていた。確かに橋のうちの1つに山の方を指しながら言っていたので、山の呼び方だろうと思われるものを数個教えてくれた。 残念なことは、田にしこ名をあまり聞くことができなかったことと、旱魃の時、どうなったかがわからなかったことだが、帰りの道は下りでもあり、足どりも軽かった。また戦役記念碑があった。大正のものだった。
補足 ・日曜ということもあって、車で出かける人がやたらと多かった。おそらく買い足しであろうと思う。 ・若い夫婦が見たところ2組程であった。過疎化が相当進んでいるのだと思う。無理もない。県道を無理やり降ろされて山道を登ることようやく村についた。 村は奥行きがある感じで続いておりしばらく歩くと行き止まりだった。数人程見かけたがそちらを向くと目をそらされた。僕らの方を向いていたのは明らかであった。僕らがよその人間であることをいたく思い知らされた。昼ごろになると子どもが3人程犬を連れて遊びに出かけて行った。何をして遊ぶのかがすごく不思議だったけど、あっという間に何処かへ消え去った。当然の事だが車が多かった。しかも中々の高級車ばかりである。
・村は2本の道路に沿うように2つに分かれている感じがした。奥行きを持つ方に、13件の家があった。その内の12件は山口という姓であった。もう一方は10件あり、山口さんは5件であった。
・山口さんが多いということはおそらくこの辺に部落をつくったのが、山口さんなのだろう。失礼なので聞かなかった。しかし村人達の血が近いのは間違いないと思う。 |