【佐賀郡富士町下田・蕨尾地区】

歩き、み、触れる歴史学レポート

 

1AG95207 日野まど香

AG95217   藤智子

 

(調査地)佐賀県佐賀郡富士町下田、蕨尾

 

(聞いた人の氏名)吉浦 隆夫

 

(生年月日)昭和12年2月

 

(しこ名一覧)

○田

 ウマンカシラ……県道(今の国道323号線)ができたことによって田んぼの方が高くなったので、水をあげなければならなくなった。昔は竹でパイプを作ったので直線的になり、それが馬の首のように見えたのでそう呼ばれるようになった。

 

 アカハゲ……山がくずれて、土がこぼれてきて田んぼが赤土に覆われたのでそう呼ばれるようになった。

 

 サンタセマチ……田んぼが三段になっている。

 

 オオノサカ、ヤシキノシタ、センバノシタ、タテショウジ、イモンサコ、ササノサコ、トオボシラ

 

○畑

 ババンハタケ、タブノキ、ウウト

 

○山

 アンノシロ…昔、城のようなものがあった。

 イマミヤ、タツンモト

 

○谷

 スケンタニ

 

○峠

 ウバカトウゲ

 

(水利の報告)

 地図上でオレンジの線が水路を示している。そこでは水路のことを「いで」と呼んでいる。麻那古川から引いていて、川から水をひく所を「いぜき」と呼ぶ。水利に関しては特別な規約はないが、昔からの慣習として年に1度水路の掃除をしなければならない。掃除をする人のことを「いでくやく」と呼び、草かりなどをする。下田は4月10日に毎年行っている。

 

(1994年の大旱魃についての報告)

 この辺りは水が豊富であまり被害は受けなかった。通常、山の上は水が得にくいものだが、ここではなぜか水に困ることはない。その理由は地質学者でも分からないと言っていた。

 

(良田、悪田についての報告)

 地図上で赤丸は良田、青丸は悪田を示している。良田は5箇所、悪田は7箇所ある。日照時間、道路の利便、水などいろいろな要素がからんで田んぼの等級が決まる。昔は田んぼの等級によって税金をかけていたので厳しく調査されていた。一般的に山の中に入っていくほど、田んぼは悪くなる。理由は気流による気候の変化や日照不足があげられる。和田付近では5月の雨が非常に冷たく、田植えのときに、手が凍えてできなかったと聞いた。

 

(当日の行動)

 6人、六本松に集合し、車2台で富士町に行った。私たちは下田に行ったが、家は一軒しかなく、農家ではなかった。その家のおばあさんに聞くと、「麻那古に行った方が、話が聞ける。」と言われたので、円徳寺のそばにある吉浦さんのお宅へ訪問した。そこではおじいさんとおばあさんとお嫁さんの3人でパセリの仕分けをしていた。私たちは田んぼのすぐそばに持ち主が住んでいると思っていたが、実はそうではなく、農家の人はいろいろなところに田・畑をもっているので麻那古に住んでいる人に下田、蕨尾のことを聞くことができた。約2時間に渡ってお話して頂いた。その後時間があったので、淀姫神社と、重要文化財である吉村家住宅を訪れた。

 

(感想)

 今回は事前の手紙を出さずに突然おじゃましたが快くお話していただき、うれしかった。都会では近所づきあいが少なくなってきているが、ここでは、近所のこともよく知っているので驚いた。



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