【富士町中の原地区】
1TE96638 野林創 1TE96644 原田倫典
<中の原> 聞き取り相手:小副川国実さん 大正15年生まれ
・しこ名…平野部 どうのうえ(狸地蔵があったので) 左近じ、なかはた あかいわ うなぎだ(昔、うなぎがのぼっていたので) ※記憶があいまいで名前の分からない水田があったが、この方以外に昔のことを知っている人がいなかったので、これ以上は無理だった。 山部 われしだ、てんぐ岩 谷部 ほんだい、つつみんたい、てらんたい
・水利…湯の里橋のあたりから水路をひいている。またほんだいからも水がでていて、そこからもひいている。中の原単独水路で、内野を通るが使われていない。
・1996年の旱魃…前年の多雨と、内野と同様に九電からの水で特に影響もなく犠牲田もださなかった。
・中の原の水田は、良田というほどの田ん中はないが悪くもない。戦前は反当たり5〜6俵、現在は8俵ぐらい。
・肥料は戦前、現在のような配合肥料はなく、単肥(硫酸アンモニウムなど)を使用し、他にはいわし、なたね、大豆の油かすも使用していた。
・乾田のみ
※中の原には、昔のことを知っている人が皆無に等しく、山の方の境界もあやふやだった。
<内野> 聞き取り相手:鶴田虎吉 大正15年生まれ ・しこ名…平野部 やくし、みっつじ、なかば、いっぽんじ、いっぽんまつ 山部 にほんじ、ごだいじ、すのば、にほんまつ、すのごう
・水田の水は、直接嘉瀬川から引水している。この水利一本だけで、また内野単独のもの。また、このおかげで、旱魃の影響はなく犠牲田は一つもなかった。水争いもなかった。
・内野は全体的良田で、戦前でも反当たり7俵、戦後は8〜9俵とれた。
・一部に湿田があるのみで、他には乾田がほとんど。
・肥料は、戦前は牛フンなどしかなかった。
・もらい水はなかったが、九電のつくった堰のおかげでためた水を随時使った。
一日の行動 11:00頃 行動開始 内野の昔を知る人を探す 11:45 鶴田虎彦さんに13:30に会う約束をする 雨宿りしつつ昼食 13:30 話をきく 14:00 中の原調査開始 14:30 小副川さんに話を聞く 15:00 調査終了
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