【富士町古湯・御殿地区】

歴史と異文化理解(A)レポート

 

S1-14 大森貴央

      豊岡房亨

 

行った先

 @富士町大字古湯

 A富士町大字御殿

 

話をきいた古老

 @山中濶(T10.11生)

 A納富虎喜(S2.1生)

 

しこ名一覧

 @高尻(こうしり)

  稲切(いなきり)

  下川原(したごうら)

  小吹(こふけ)

  蟹原(かねわら)

  岩梨(いわなし)

  平石(ひらいし)

  尼ぶり坂

 

 Aたけ

  たかひら

  よこだに

  なかづる

 

※位置は別紙の地図に記入

 

◎当日の行動<7月14日>

 10:30ごろ、古湯に到着。ここは温泉の町で有名なだけはあって、温泉や旅館は目につくが、あまり田んぼは見当たらない。手はじめに2、3人の老人にしこ名についてきいてみたが、しこ名といってもわかってもらえず、それを説明しても「最近は田んぼ(田んなか)が少なくなってきとるけんねぇ」というあいまいな返事しか返ってこない。しかし、そうこうするうちにここら辺のことに最も詳しいという山中さんの家を教えてもらう。しかし、この山中さんの家はかなり遠く、隣町の嘉瀬というところにあった。この嘉瀬町と古湯の境ははっきり定まっておらず、結局、嘉瀬の調査をしている班と合同で話をききにいった。山中さんの家を訪れると元気そうなおじいさんが座敷に我々をあげてくれ、お茶までだしてくれた。我々が「大学の調査でここにやってきました」という主旨をつげると、山中さんはそのことを大変喜んでいた。話によると山中さんは戦後まもなく自分の先祖はいったい誰なのだろうという素朴な疑問から、この辺りの調査をはじめ、かれこれ20年間ものあいだ、1人でその調査を続け、その記録を公民館においてある地図に書き込んだり、ノートにしてとってあるらしい。我々は山中家で20分ほど話をして、その公民館へと向った。この公民館は近年建てかえられたそうで、まだ新しかった。我々は山中さんにこの公民館の2階に案内してもらい、例の地図とノートを見せていただくことができた。その地図を見ながら我々は自分達のもってきたノートや地図にしこ名を書き込んだ。そして、山中さんの20年間にもわたる調査の話や、最近の農業のこと、水利などのことをきいたのだが、山中さんいわく、佐賀平野の方では水の争いがあったそうだが、こちらでは水に困ることはなかったらしい。こちらでは提(つつみ)と呼ばれる水溜があるそうで、農家はこの水だめを共同で使うそうだ。それからこちらでは昭和45年ごろに湿田から乾田に変わったそうだ。肥料は戦前は山草と呼ばれるものを使っていたらしいが、最近では有機肥料に頼っているそうだ。山中さんに人手不足の問題について尋ねてみたところ、昭和40年ぐらいにその問題が少し起きたそうだが、最近では農業の機械化にともない、このあたりでは専業農家が2軒しかなく、その他は兼業農家であって月〜金は勤めで土日に農業という家が多いそうだ。しかし、跡取りはきちんとしているそうで後継者問題はなさそうだとおっしゃられていた。現在ここらへんには田10町、畑19町があるそうだが、温泉という観光業も栄えているおかげで嫁とりの問題もあまりないそうだ。

 こういった話を40分ほど、なごやかに話してもらって、我々はお礼をいって公民館を後にした。次に我々は2つ目の目的地である御殿に向った。御殿を探すとき、自分は服部先生から“ごてん”という読みで聞かされていたので、尋ねた人にそれは“みどの”と読むんだよと笑われた。そうこうするうちに御殿に着いたのだが、この日はあいにくゲートボール大会の日で家を留守にしているところが多かった。それでもなんとか納富さんという農家のおじいさんに会うことができた。納富さんもまた、先ほどの山中さんと同じように、我々がここにきた主旨を伝えると大変喜んで家にあげてくれた。納富さんの話は先ほどの山中さんとは違って、最近の具体的な農業についてが多かったのだが、この富士町では1番組〜5番組というように区が分かれているそうで、御殿はその中の4番組にあたるそうだ。それから、水のことについてであるが、この御殿では最近、九電の第2発電所の近くのかじがわダムから水を引いているそうだ。また、この発電所ができる以前の大正時代は木簡というものに水をためていたこともあったとおっしゃっていた。この御殿でも特に水の争いはないそうである。それから後継者問題についてであるが、この御殿では年寄りばかりで若者がいなく、かなり深刻な様である。専業農家も1、2件しかなく農業もかなり縮小化したものになっているそうだ。それから今年の稲作について尋ねてみたところ、今年は田植えの時期が遅く6月下旬位で、また、今年は雨が多く、おそらく不作になるだろうとおっしゃっていた。こういった話を30分位話してもらって我々は納富家を後にした。我々を暖かく出迎えてくれた山中さんと納富さんには本当にあつくお礼を申し上げたい。それではこの辺りで駄文を終わらせていただきます。

 



戻る