【佐賀郡富士町上古賀・西の谷地区】 歴史の認識現地調査レポート
S1-29 1AG96150 中尾孝博 1AG96172野口昌宏
協力者 久地井 義治さん(区長) S12.11月 江口 正子さん S9.1月 重田 種雄さん S4.3月 満行 マサ子さん S2.2月 吉田 喜一郎さん S35.4月 江口 明春さん S19.11月 吉田 久代さん S28.4月
しこ名 田…さかした(坂下)、はなんき、いわした、むこう、くらのき、いでぐち(井手口)、ほそなが(細長)、ふかた(深田)、やまんまえ(山の前)、みなえご、すげんたい、むんのまえ、うえんひら(上平) 計14
山…くりなみ、えご
川…こうら(くりなみという部落との境)
・上古賀は、山古賀、柳古賀、浦古賀、西の谷の4つに分けられている。(約10軒単位)
・戦前の肥料…じゅうろく(十六)、よんぱち(四八)、したっき(山からとってきた雑草)、牛の堆肥を発酵させたもの
・裏作…昔は、そま(そば)や麦を作っていたが、今はほとんど作っていない。
・この地区は、けっこう良田で上級の米ができる。
・おととしの水不足では、この地区はたいして被害はなかった。上岳の堤(かみだけのつつみ)が、山の上の方にあり、そこから、水が流れてきている。
・昔の焼畑…他の部落のうらんじゅらというところで、小豆を作っていたらしい。
・ふかた(深田)は湿田
最初は、地図の見方がわからないこともあって、少々道に迷った。土地にくわしい人の事を聞こうと思い、ある家を訪ねたが若い人がでてきた。仕事が休みで実家に帰っている息子さんだったが、何も知らなかったので、その家の主人に聞き、区長の久地井さんのことを教えてもらった。久地井さんは、畑で仕事をしていたが、快く質問に答えてくれた。さすがにこの土地のことに詳しく、ここで上古賀が、山古賀、柳古賀、浦古賀、西の谷の4つに分けられていること、田のしこ名を5、6コ、西の谷のすぐ上の山のふもとに権現社、七郎社、九郎社があり、そこに通じる山道、その山の頂上近くに弁財天という神社があることを教えてくれた。 そのあと、道端にいる人に田のしこ名を聞きまわったが違う部落の範囲の田があったために、しこ名のわからない田があった。(上古賀の人々に「しこ名」と言っても全く通じず、「しこ名って、何ですか」と聞かれた。)だから、近くの家でその違う部落の事を聞き、その人が言うには、15分くらいでその部落につくということだったので行ってみたが、15分以上山を登っていっても何もなかったのでもどって来た。途中にふちのもとばし(くりなみと上古賀の境界)があり、そこに沢があり、下流のほうがこうら川、上流のほうが、上岳の堤だという話を聞いた。その人は、他の村からここに嫁にきたという。権現社では毎年祭りがあり、黒米をたき近所に配ったりするらしい。この人の住んでいた村では、焼畑で小豆を作っていた。 上古賀では、裏作でそま(そば)、麦を昔は作っていたが、現在では、ほとんど作らないらしい。 おととしの水不足では、山水があるということでたいした被害はなかったらしい。
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