【富士町鎌原地区】

現地調査レポート

 

S1-16 1TE96597   児玉毅

S1-16 1TE96607 志田尾耕三

 

行き先:佐賀県富士町鎌原

 ※あっちの人は鎌原(かまばら)のことを「かんばら」と言っているような気がした。

 

古老:久保勇さん(くぼいさお)

    大正10年12月生 74才

   野田ミホノさん(のだみほの)

    大正8年6月生 77才

   ※名前を聞きそびれた人達 3人(70〜75才)

 

しこ名:

田…たんだ(反田)、わたごう、おぎみち、おおたに、たけ、のんぼり、まかど

山…天山、しぶり山、ひこたけ(屏風岩)、たかひら、きしだか、あきかげ

村…区のことを古賀といい、村を4つにわけている。上(かみ)、下(しも)、村(むら)、津々良谷(つづらたに)の4つ。

 

水利:近くに反田川と呼ぶ川が流れており、水不足に悩まされることはないそうだ。

 

 

久保勇さんとの話

<プロフィール>

本名:久保勇

生年月日:大正10年12月

年齢:74才

特徴:かなり訛りが入っていた。74才というわりにかなり若く見えた。畑仕事をしていたためかもしれない。食べていたアイスが美味しそうだった。

 

私 :九州大学の者ですけど…、田のしこ名を教えてください。

久保:しこ名…なんじゃそれは…

私 :田の古い呼び名のことなんですけど…

久保:ん〜、そうだね〜。ここらへんは、4つの区域にわかれていて、ん〜、そうだね〜、あっちの方が津々良谷になるのかな。それで、あっちが上(かみ)、こっちが村(むら)、そしてあっちが下(しも)いうんや。それでここらへんでは区のことを古賀というから、上古賀、下古賀というんや。

私 :はい、それと他に何かないですか。

久保:ん〜、そうだね〜。ここは山が多くてね〜、あそこが“天山”あっちが“しぶり山”あれが“ひこたけ”だ。ひこたけには有名な屏風岩があってな〜。ものすごく大きいんじゃ。

私 :どのくらいですか。

久保:この家の半分くらいはあるかな〜。

私 :へ〜、大きいですね〜。あっそれと一昨年の水不足があったじゃないですか。あの時はどういう対策をたてたのですか。

久保:対策なんかしてないよ。お宮から反田川っていうのが流れていて水には不自由しないんじゃよ。

私 :それでは失礼ですけど、生まれた年と名前を教えていただきたいんですけど。

久保:私の?久保勇だ。大正10年12月19日生まれじゃ。

私 :あっそれと、この村で他のご年配の方はいらっしゃいますか。

久保:そうだね〜。80才になる人はおらんな〜。

私 :あっ、それでは、どうもありがとうございました。

 

 

野田ミホノさんとの出会い

<プロフィール>

本名:野田ミホノ

生年月日:大正8年6月

年齢:77才

特徴:この方もなまりがあったが、久保さんよりは聞きやすかった。まだまだお若いおばあちゃんだった。久保さん自分より年配の方がいたら教えて欲しかった。

 

私 :こんにちは、九大の者ですけど。田のしこ名を教えてほしいんですけど。

野田:しこ名ってなんですか。

私 :田の古い呼び方みたいなものなのですけど。

野田:ん〜、そうだね。あまりわからないけど、あっちの方を“たんだ”、多分、反田という字だったと思うけど。あと、あっちを“わたごう”、こっちの方を“おぎみち”、あっちの方を“おおたに”と呼んでいるよ。けどね…漢字の方はちょっとわからないね〜。

私 :場所の方はわかりませんか。

野田:ん〜、よくわからんね〜。

私 :あっそうですか…。では他に古い呼び方などがあったら教えてもらえませんか。例えば、山や川などで…。

野田:ん〜、そうだね。“たかひら”とか“きしだか”とか“あきやげ”などと言っているよ。

私 :それはあっちの方ですか。

野田:あ〜、そうだね。

私 :それでは、どうもありがとうございました。

 

 

名前を聞きそびれた人々

 

Part1.特徴:いつも不機嫌そうなおじさん。(実はいい人だ!)こういう田舎にもいるんだなと思って少しがっかり。

 

私:あの〜、すいません。九州大学の者なんですけど。

彼:あ〜、なんだ。

私:ここらへんの田のしこ名を調べているんですけど、え〜っと、古い田の呼び方なんですけど。

彼:ん〜、そうだな〜。あっちの方を“たんだ”、こっちの方を“たけ”、そしてこっちを“のんぼり”、あっちを“おぎみち”というよ。それくらいしか思い出せないね〜。

私:漢字はわかりますか。

彼:ん〜、わからんね。たけというのは岳と書いたと思うけど。

私:あっ、お忙しいところをすいません。ありがとうございました。

 

 

Part2.特徴:見た目はとってもいい人、でも本当はもっといい人だった。75才前後の溌剌としたおじいさん。道端でばったりと。

 

私:こんにちは、九州大学の者なんですけど。ここらへんのしこ名、え〜と、田の古い呼び方があったら教えていただきたいんですけど。

彼:ん〜、そうだね〜。あっちの方を“たんだ”というかな。それとあっちを“まかど”、あっちを“おおたに”というかな。ん〜、それくらいしかわからんね〜。

私:あっ、もう十分です。他に入会地などあったんですか。

彼:ん〜、入会地ね。ここらへんの山は観山というか、観光地になって国がもってるからね〜。

私:いや、そうじゃなくて、村で共有している山のことなんですけど。

彼:ん〜、そういうのはないかな。わからないね。

私:散歩中ですか。どうもありがとうございました。

 

 

Part3.特別編

私:あの〜、あっちに屏風岩という大きい岩があると聞いたんですけど、どうやっていけばいいですか。

人:いや〜、こっからは遠いから。あっちから回っていくと時間がかかるよ。

私:あっ、そうですか。ありがとうございました。

 

 

当日の行動と感想

 当日の僕らの行動は傘を借りることからはじまった。バスから降りる時にどしゃ降りにみまわれて近くにあったペンションの人から傘を借りたのだった。傘をさして鎌原に入って、さっそくレポートをはじめた。僕らは彼らの話している言葉を聞き取るのに苦労していた。午前中は雨が降りしきる中、レポートは続けられた。昼食時になると正法寺というさびしい所で弁当を食べた。食べてゴロンと寺で横になったら、いつの間にか寝てしまっていた。30分ぐらいして目が覚めると青空がひろがっていた。僕らはあの山の緑に感動した。あまりに感動して、山の中へ少し足を踏み入れた。緑が雨水にぬれていっそう映えていた。あんなに美しい緑は生まれて初めて見た。絶対に忘れない。その後、またレポートをしてバスが停まる所へ向った。向う途中に傘も返した。

 最後に鎌原の人たちは誰もが優しく接してくれた。僕らはもう1度行ってみたいと心に強く思いながら、このレポートを終わろうと思う。

 

1996年7月18日

 



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