【佐賀郡富士町市川地区】

歴Aレポート

 

1TE96600 酒井敦史

1TE96624 谷田智幸

 

古老 友田善二さん(大正十二年生まれ)

 

しこ名

 田:よしはら、ひらいし、つちあな、やまがみ、したばる、うえばる、ふるやしき、

もちころばがし、さんだた、さだ、うらだ、ふけやまがみ、かみおき、いしわら、

やんなか、あな、しもがわら(庄屋給)、うちごし(共同田)、つつみ(共同田)

 川:わたせ、つちあながわ、あまごがわ、むかいがわ

 池:うらだのつつみ、あなつつみ

 通り:かごたてば

 山:うちごしさんりん(入会山)、うちごしばやし(共有林)

 坂:かんねんざか(急な坂)

 墓場:おおむかえ

 

<しこ名の解説>

・かごたてば−殿様(ここは、鍋島藩の支藩)の休憩所

・しもかわら(庄屋給)−昔、庄屋が年貢米を調整していた所

 

○水利

 この辺りの水利の特色としては、川の水量が豊富なため、他村との共有の用水は必要とせず、単独の用水で十分である。主にあまご川、わたぜ川、むかいの川、つちあな川から取水している。しかし、一応うらだのつつみとあなつつみの2つが溜池として存在していたが、あまり利用はしていなかったようである。

 他村との水争いは、ほとんどなかったが、個人的なもめごとはどこにでもあるらしく、そういう時は関係者が集り、自分たちで解決する水利慣行があるらしい。上流の方があまり取りすぎないようにというような簡単なきまりでことたりる。

 平成6年の未曾有の干ばつでは、自然の湧き水を使った水田が多少困った程度で、ときすいや犠牲田を設定する必要は全くなく、これが30年前のできごとであってもかわりはないと思われる。とにかく川がたくさんあり、水には特別な苦労はない。

 

○村の範囲

 市川という村の中にはたにこが、つじこが、うちごしこが、おとまこが、むかいこが、くずのおこがの6つに分かれていたらしい。つまり、市川の範囲には葛尾(くずのお)も含まれていたので、僕たちはそこまで調べることとなった。

 住民の人の中には、市川の中だけでなく、となりの村の中にも田畑をもっている方もおられ、又、その逆に、となりの村の人が市川の中に田をもつこともある。これは代々その家に受け継がれてきたものであり、共同作業(もやい)はその人たちも含めて行われた。

 共同作業の内容としては、春にいであげ(「いで」は水路の意)、夏は水路の草かりをした。又、お祭りの時のもち米、うるち米を作るために共同田が存在した。入会山も存在した。

 

○村の耕地

 この辺りは冬の寒さがとても厳しく、裏作は不可能で一毛作である。だから湿田ばかりである。米の取れ高は場所によってあまり差はなく、戦前は1等田では1反当り9俵、2等田で7俵、悪い田でも5俵ぐらいは獲れた。日当たりがよく、川に近く、粘土質な田ほど良田であり、それは、つちあな、さんだた、ふるやしき、あたりが当てはまるらしい。

 戦前の農業は今とは比べ物にならないほど、大変だったらしく、今の農業など赤子の手をひねるようだとおっしゃっていた。今は杉でおおわれている山々も、戦前は原野同然の荒地であり、春に野焼をして、その後生えてきた新芽を刈り取り、それを水田にまいて肥料にしたとのことです。

 

○当日の行動

 10:30ごろバスを降りた。市川までは2km弱歩く必要はあったが、それでも11:00ごろには到着するだろうとたかをくくっていたが、ずっと昇り道がつづき、どんどん山奥へと入っていくように感じられたので、道を間違ったのではないかという不安にとらわれた。人とすれ違うこともなく民家らしきものも全く見えず、確かめようのないまま、ただひたすら前に進んでいると、草を刈る音が聞こえてきたので、道が間違っていないか確かめるために、道をそれて谷へ降りていった。おじいさんが草を刈っていたので、ようやく道をたずねることができた。市川への道はここで2つに分かれていて、地図で見る限り近そうな道を選んですすむこととなったが、その道は昇りが急でとても大変だった。

 市川へついたのは11:30。1時間近く山を登り、とても疲れていた上、お昼時にもなっていたので、調査は13:00からにしようと決め、昼食をとることにした。市川に入るとすぐ真新しい建物があり、「浮立の家展示館」とあったため、ここのロビーで休ませてもらおうということになった。受付の方がおられたので、調査のことについてお話しすると、館長らしき人(実は館長ではなかった)が出てきて、調査に協力してくれた。その方が、友田善二さんである。1時間半ほど、つきあっていただいて、とてもありがたかった。

 友田さんは、学徒出陣で南の島へ刈り出されて大変な苦労をしたそうである。無事に帰ってきてからは、文部事務官として東京で暮らしたらしく、なまりも少なく、とても話し易かった。戦争についてもいろいろ話していただいて、そういう点でも、この調査では貴重な体験ができたと思う。

 



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