小城郡芦刈町舎人、高道地区】

歴史と異文化理解Aレポート

 1TE96567 赤松治彦

1AG96605 佐野勝彦

調査対象 芦刈町舎人(とねり)、高道(たかみち)

 

舎人……福地今朝雄さん方の奥さん(昭和3年生まれ・68)

しこ名

 あっかんぼい

 とくしますじ

 つるごもり

 こただ

 

高道……松尾博さん[区長](昭和6年生まれ・65)

しこ名

 ちりぼい

 じぞううら

 まあぼんだ

 じどうばた

 げば

 まえだ

 うらだ

 村んまえだ

 

◎高道地区について

 まず区長宅に電話をし、すぐに伺ってよいとの了解を得る。

 松尾さんは自分では分からないと言いながらも、非常に丁寧に対応して下さり、まず付近で最長老の農家である古賀純一郎さん(84歳くらい)の自宅へ案内して下さった。しかし、あいにく留主であった。引き続き松尾尊章さん宅にも向かったが、こちらも留守であった。

・区長さんは付近の人とのつきあいは深い様子。

・最初の二人の方々であればよく知っているだろうとの事であったが、残念ながら当日は他の家も留守が非常に多く、お話を聞くことができなかった。

・高道地区で60代以上くらいの年齢で農業をされている方は、先の2人を含め45人程度しかおらず、他にはほとんどんが50代の比較的若い経営者であるらしい。さらに後継者はほとんどいないという話である。加えて、藤吉高徳さん方も留守であったため、比較的若い部類の農家の家に案内して下さったが、ここでも留守であった。途中の江頭一美さん方で70代後半くらいの年齢のおばさんがおられたためお話を伺えるようにして頂けた。この方が昔の田ん中の形などから詳しく思い出して下さって、自分たちで用いていた通称を自分が聞いて覚えている範囲で話して頂けた。

・芦刈町で1100坪ほどの田のうちで、高道地区では各戸8反ずつであるという。

10年くらい前の圃場整備後に水路も大幅に変更され、現在も残っている昔からの水路は農作業用に使用されていない。

・圃場整備により、お地蔵さんの位置も移動している所がある。

・この辺りでの農業は、元々は米、麦の栽培のみであった。

・最近ここ15年くらいは、ビニールハウスを使ったイチゴ、ナスの栽培も見られる。

[通称の由来]

 高道地区で用いられていた通称の由来として次のようなものがある。

・ちりぼい……「ちりぼい」と呼ばれた堀(水路)の傍らに田があった。

・じぞううら・まえ……地蔵の前や後ろにあった。

・まあぼんだ……川が丸く囲んでいた田だった。

・げば(下馬)……道路の下にあたる。

 

◎舎人地区について

 まず生産組合長の北宅に電話した。しかし、現在(4月以降)の組合長は役場職員の若い人に代わっているとの話。さらに本業は農業ではないため、田ん中の話についてなど分からないということで断られた。役場でよい人を紹介してもらうといい、とのことだった。続いて、区長の鶴丸文吾さん宅に電話をした。奥さんが電話に答えてくれたが、文吾さんは全体の掃除(?)に出掛けており、いつ帰るか分からないとのこと。自分は兼業農家で、農業ではない方を担当しており、他の家族も出掛けているとのことで話を聞かせることはできないということであった。

 仕方がないので歩いて舎人地区へ行った。途中の鶴丸酒点に立ち寄り、年配の農家の人を訪ねると、古賀ブロック工業所のおじさんがよいと紹介してくださった。しかし、ここは留守であった。

 ときかわ理容店で再び尋ねた。この店の人は自分は20年前くらいに舎人に越して来たため分からないと言ったが、昔からこの地区に住んでいる人を紹介して下さった。渡島雪雄さん方へ伺う。しかし、雪雄さんが急がしそうであったため、お話は伺えなかった。

 福地今朝雄さん宅の人がとてもよく知っているだろうという話であったが留守であった。

 岩村康弘さん方のおばさんが耳は遠いが昔から住んでいるとのことであった。感じのよい若奥さんがおばさんの所に案内して下さった。おばさんと笑顔でしばらく対話することができ、田ん中の名前までは覚えていないそうだが、昔の話をしてくださった。

 先の若奥さんの紹介により、近くの、昔から住んでいて役場に勤めていたという人の家へ向かう。その家の奥さんしか居なかったが、最近まで使っていたような昔の通称については幾らか話が聞けた。この奥さんによると、先の福地さん宅の奥さんは近所でも一目置かれている存在という。隣のおばあさんも紹介して頂いたが、話を聞くことはできなかった。

 この舎人地区では昔から住んでいて農業をしていたという人は少ない。県道沿いの人たちはほとんどが後に越して来た人々であるらしい。いろいろな人に聞いた話によると、昔から住んでいた人たちは次の人たちである。

     福地今朝雄さん

     村上俊雄さん

     岩村康弘さん

     渡島雪雄さん

 このように話を聞けた人の数が少なかったため、調査は困難を極めた。しかし、再び最後に福地さん方を訪問すると奥さんが在宅であり、運良く話を聞くことができた。

 福地さん方の奥さん(S3年生まれ、今朝雄さんは昭和元年生まれ)は噂に違わぬ気のいい物知りのおばあさんであった。旦那ならばもっと知っていると言いながらも圃場整備のときに残したものであろう台帳や地図のようなものを見せてくれた。

 「しこ名」というものの存在についてもはっきり覚えており、それにまつわる話も聞かせてくれた。さらに、隣に立てた地蔵のおかげで県道の死亡事故がぱたりと無くなった話などもして下さった。



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