小城郡芦刈町町分、道免、中村】

 1TE96572 石田祐輔

1TE96583 岡本真人

 

 

調査に協力してくれた方

町分 南里勇さん、南里民男さん

道免、中村 岡本澄雄さん

      芦刈町役場職員。芦刈町東戸崎在中

      昭和50年代から芦刈町の歴史を研究し「ふるさとの地名をたずねて」とい

う本を自費出版された方。

当日の行動

 六本松→博多駅(路線バス)→鳥栖→牛津→芦刈町(牛津駅から徒歩)

  町分、道免、中村の順で調査。

水利について

 芦刈水道は成富茂安によって築造され、その水路は市ノ井樋を機転としていて芦刈まで12キロメートルあり、芦刈の水田1000町歩の用水として活用された。だが水の絶対量の不足を補うために三日月町島溝に新たに取水口を設けて東芦刈の用水とした。これが所謂芦刈水道で前述したものが西芦刈水道である。

 現在では北山ダムが完成し、川上頭首工より西芦刈水道を幹線として用水が豊かに流れ、牛津地域を通って芦刈の各水路に注いでいる。これにより、東芦刈水道はその使命が薄れて排水的な水路になりつつある。

 毎年春になると、決まって「川そうじ」が行われ、農家ごとに一名ずつ鎌、スコップなどをもって水路の掃除が行われる。

 また昔は、「水引き」などがおこり「水番」があった。沿線農民の盗水なので水喧嘩もたびたびあった。しかし現在では前に述べたように北山ダムの築造によりこのようなこともなくなった。

 昭和4243年ごろに水路も自然の堀割ったままでコンクリート張りに改造、補強された。

1944年の旱魃の年は、北山ダムのおかげで農業用水は確保できたらしい。

もらい水や犠牲田の必要はなかったらしい。もし30年前に大旱魃が起きていたら、クリークに頼るしかなかったろう、とのことらしい。

ちなみに北山ダムは芦刈町以外にも、大和町、三日月町、牛津町、久保田町にも水を供している。でも一番水を供給してもらっているのは芦刈町らしい。

久保田町とはよく水争いをしていたもようだが(現在でも)、よく分からなかった。

芦刈町には浄水道はないが、用水路は町全体にめぐらされている。

豊作のときには67俵、凶作のときには34俵の米がとれるそうだ。

戦前は肥料として有明海の魚介、家畜の糞尿を使っていたらしい。

 

 



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