【小城郡芦刈町東道免、新村地区】 歩き・み・ふれる歴史学レポート 1AG96118■ 高橋太一 1AG96131■ 谷 博文 村名 芦刈町東道免、中村 しこ名一覧 田畑 にすみ いでうえ からし さきなし しんばし 水路 うーしいど(大) こうしいど(小) なかしいど 中村しいど 【田畑のしこ名】 柳籠のうちに にすみ 黒木篭のうちに いでうえ 黒木籠のうちに さきなし 黒木籠のうちに しんばし きり籠のうちに しんばし 【水路のしこ名】 柳籠のうちに うーしいど(大) こうしいど(小) なかしいど 黒木篭のうちに 中村しいど 話をして下さった方の名前と生年 ・田中滋さん 大正12 ・山田信一さん 昭和9年 ・北川正さん 昭和10年 ・久保力さん 大正8年 私たちは1回目でしこ名を集めることができず、2度佐賀へ調査に行った。 1回目の調査では何もあてがなく、近くで農家の方が仕事をされていたため、尋ねてみることにした。私たちはしこ名などすぐに集まると考えていたが、実際はそんなにうまくいくものではなかった。12名の方に尋ねてみたのだが小字しか知らないらしく、しこ名は一つも集まらなかった。どうしようもなくなった。 私たちはムダとは分かっていたが、数人の農家の方が役場に行けば分かるというので行ってみることにした。しかし、役場は閉まっていた……。 私たちはあきらめかけていた。その後、役場の前に図書館を見つけ、館長の方に頼んで入れてもらい、そこで片っ端から参考になる本を調べたのだが、しこ名に関するものは一つもなかった。 そこの館長の方が親切な方で、昔役場農業関係の仕事をしていた田中滋さんという方を紹介してくれた。私たちは今度こそしこ名を聞くことができると思いつつ、図書館を出た。 田中さん宅へ向かった。田中さんはいい人だったが、この辺りでしこ名を知っている人はもういないだろうということだった。東道免ではもうしこ名は聞けないと思った。そこで私たちは中村へ向かうことにした。その途中、現区長の山田信一さんに出会ったがやはりしこ名は知らなかった。 中村に着いた私たちは20名の位の方が天満宮に集まっているのを見つけた。通りがかった人に尋ねたところ、年末の会議をしているということが分かった。私たちは邪魔にされるのではないかと思いつつも、少し期待して声をかけたのだが、今はちょっと遠慮してくれと言われてしまった。 会議が終わるころにもう一度来ることにし、それまで近所の方を訪ねることにした。近所の方の話では天満宮では夏に祇園、秋は祭りが行われるということが分かった。ここでもしこ名は聞けなかった。この時もうすでに3時半近くで、天満宮によった後でバスを待てばちょうどよい時間だと思っていた。しかし、またうまくいかず、バスの時間ぎりぎりまで待ったのだが会議は終わらなかった。一日中歩き回ってしこ名が一つも集まらなかった私たちには疲れだけが残った。 2日目の調査の前日、1回目と同じ過ちをおかすまいと考えた私たちは東道免の元生産組合長の北川恵治さんと中村の生産組合長の本村孝義さんに連絡をとり、北川恵治さんに紹介してもらった中村現生産組合長の北川正さんと約束をとることができました。 2日目の朝、東道免で降ろしてもらった私たちは11:00〜15:50という短い時間を有効に使うため、走って北川正さんとの待ち合わせ場所であるビニールハウスへ向かった。 北川正さんは昭和10年生まれで、1回目に尋ねた人よりも若いのに、東道免のことにとても詳しく、いろいろな話をしてくれた。その中で特に熱心に話されたのが圃場整備の後に起こった田についての問題のことであった。 圃場整備とは国が行ったもので、その地域の小さな田を合体させて大きな田にし、碁盤目状に道で区切るということでした。各地に点々と田をもっていた農家の方は、強制的に田を交換され、一つの場所に集められたそうです。そこで起こった問題は田の質の違いによるもりでした。北川正さんは前よりも悪い土地になったということで少し怒っていました。また、圃場整備にかかった費用の25%を農家の方が支払わなくてはならないらしく、今でも支払いは続いているとおっしゃっていました。圃場整備に反対だった農家の方々の中にはお金を払わない人もいるらしく、何千万という借金がたまっているということでした。 しこ名もいくつか聞くことができた私たちは北川正さんにお礼を言い、中村方面に向かいました。 中村では1回目と同じで聞く人、聞く人、しこ名については知らず、このまま終わってしまうのだろうかと思ったが、バスの時間3時30分前になって久保力さんという方に出会って、やっとのことでしこ名を聞くことができました。これで佐賀の調査は終わりました。 最後に地名について分かったことを書いて終わりにします。 |