歴史と異文化理解A                 大庭 則彦

現地調査レポート                  佐藤 卓郎

 

調査実施日   平成8年7月14日

調査地     佐賀県小城郡芦刈町〈牛王・三条〉

 

集めたしこ名   牛王   うーしーど、まつばし、がっこうのひがし、

              したんどこ、わさだ、たかみちまえ、なかす

              てらのきわ

        三条は下記参照

 

 

※今回の調査に求められたと考えられるしこ名をあげたが、これらのしこ名は

全て牛王の古老に尋ねて得られたものであり、従ってそれぞれのしこ名はほぼ牛王部落で用いられたものと思われる。三条部落ではいろいろと尋ね方も変えて何とかしこ名と思われる呼び名をききだそうとしたが、先方の話によれば区役所に残されている、いわゆる小字を日常の中でもそのまま使用していたということであり、実際小字の書かれた地図を使用して古老の記憶の確認をすることが限界であった。ここで注意しておきたいのは、三条部落の古老が小字の名称を口にしたのは私達が小字入りの地図を先方に見せる前であり、決してこちらが先方に地図を最初にみせてしまったが故に、先方が小字しか思い出せなかったなどというものではない。小字による呼び方は村人間や家族間でも極めて普通に使用されていたとうことであり、そのことについて牛王で尋ねたところ、部落によってしこ名のみを掲げるに至った。どうかご理解いただきたい。

 水路等に関しては、大半が「…・んとこのほい」というような感じで呼んでいたらしく、特別なしこ名を得ることはほとんど不可能だった。しかし本来名前というものは、あるもの〈ある場所〉を他のもの(場所)と区別するために用いられたものであるから、特別な不自由がなければ逆にこのような使い方も十分に納得いくように思える。

 

 

(話をうかがった古老)

(三条)                永江 武彦さん 昭和6年生 満65歳

 (牛王)  楠田 学さん  昭和3年生 満68歳

  

 

(当日の行動記録)

 9;30      JR鳥栖駅に集合。

 

9:50       9:50分鳥栖発の普通電車肥前浜行きに乗って、鳥

           栖を出発。目指すは牛津。私自身は田舎は嫌いではない。何にしても久しぶりの長崎本線で、大変懐かしかった。(筆者は佐賀市の某高校出身)

 

10:33      牛津着。たった約40分しか電車には乗ってなかった

           のに、電車が鳥栖を出て間もなく空がもくもくと雨雲

           に覆われ始め、天候が崩れるのを心配した矢先に雨が

           降り始めるという有様で、牛津に着いた時には雷が鳴っていた。日頃の行いのせいか…・?

 

11:30      雨に対して雨具が不足していたため、やむなく近くの店で傘を購入。ところが気まぐれな天気の為、この傘は実際数十分しか使われることはなかった。今後使われるかどうかも疑問である。

 

           傘を購入したところでグループから2人組にわかれた。

           調査が終了した後もう一度集合する場所を決め、班ごとに目的地へ向かう。

 

11:45頃     とりあえず牛王と三条のそれぞれの区長さん宅に電話をかけてみる。牛王の区長さんは不在だったようで、誰も出なかった。三条の区長さんに電話をかけると、塾か何かの勧誘と間違えられてしまった。うろたえながらもなんとか訪問させていただくお願いに成功、訪ねる時間を14:00と決めた。

 

13:30頃     道路地図のコピーを見ながら、ころころ変化する天氣のなかを目的地までひたすら歩いていったが、ようやくRICを見つけて昼食をかった。近くのバス停のベンチでそれらを食べると、地図を何枚か照らし合わせながら目的地を探したが、うまく見つからずに迷ってしまった。そうこうしているうちにトイレに行きたくなり、すぐ近くの公民館のトイレを借りることになった。実はこれがすべてうまいくきっかけとなった。たまたま公民館に居合わせた紳士風の男性方の1人に三条までの道を尋ねることで、三条部落の位置が判明したのである。お礼を述べた後、いよいよ最初の訪問先、三条で区長を務めていらっしゃる永江さん宅に向かう。

 

13:40頃     道を迷ったりもしたが、結局予定よりけっこう早く着いてしまった。家から10mと離れていないところから、携帯電話で早目にうかがう旨を伝え、了解を得た後30秒後にはお会いすることができた。いよいよ調査開始である。

 

           お会いした永江さんは大変元気で親切な方だった。古老という表現がどういう人を対象に使われるのか知らないが、この方にはあてはまらなかたような気がする。

           いくつかの質問をしたが、それにも笑顔で答えてくれた。ただ、今回集めなければならないと思われるようなしこ名は、永江さんから学ぶことはできなかった。

           他の古老を訪ねることも考えたが、永江さんの話や時間の関係もあって最終的に求められるようなしこ名を三条で集めることは断念。村の中や家族間でも小字を用いて日常は生活されていたそうだ。

 

           1時間以上も教えて頂いた後、牛王の調査にも行かねばならないことを伝えると、なんと親切にも牛王の区長さん宅に電話をかけて下さった。残念ながら不在でつながらなかったが、永江さんの知り合いの方をご紹介頂き、さらにその知り合いのかた、楠田さん宅に連絡をとっていただいたばかりか、楠田さん宅まで車で連れて行って下さった。もはや感謝を通り越して精神的な罪悪感すらかんじる思いで恐縮してしまった。

           十分にお礼を述べて、楠田さんと対面。永江さんに比べて表情もやや厳しく、今度は最初より慣れているはずなのに、やや緊張した。

 

           楠田さんは最初の印象でやや厳しそうなイメージを持ったが、話をしている間に全然そんなことはないということがわかった。やはり人間外見だけで判断してはいけない。三条では失敗したしこ名集めも牛王ではなんとか聞き出すことができて、本当によかった。

 

           やはりたっぷり1時間半位はいろいろと教えて頂いた後、お礼を述べて調査を終了。行きは歩いたが帰りはバスを使って、皆との集合場所に向かった。時間は4時20分頃。

 

5時過ぎ       待ち合わせ場所に集合したあと、全員ほぼそろって帰路につく。帰りに立ち寄った店で、調査にきたことを証すと「芦刈はいいところ」という印象を持ってくれたのなら嬉しいとおっしゃっていた。さて、皆の心中は…・?

           JR牛津駅からそろって普通電車に乗った。行き先は思い思い。レポートは後日班ごとに集まって(かどうかよくわからないが)作成することを約束した後、解散となった。

 

            以上が調査日の長い1日の行動記録です。

 

 

〈今後の農業について〉

(永江さん)  時代が変わったから若者が農業をやるかは疑問。また、食生

        活の関係から親子2代でやるのも考え物である。やるのなら

        10丁くらいは作らないとダメらしい。米1俵は1万600

        0円なので、これでは絶対に暮らせない。仮に消費者が10

        kg買うとしたら、直段は4千〜5千円である。このもうけ

        は政府が得るものである。消費者は米の直段がいというが、

        百姓のこともわかってほしい。現在は減反を行って、大豆を

        つくる者も増えている。今後も田を減らしながら同時に兼業

        農家となるところが増えるだろう。

 

(楠田さん)  息子が継ぐならば田は残すつもりだが、給料取りになるとい 

        いうならそれを認めないわけにはいかないだろう。自分達の

        田は自分達で守っていくしかないだろう。

 

 

(調査を終えて)

 

 今回の調査のような大規模な調査というものはもちろん初めてだったので、

大変貴重な経験になった。今回協力して頂いた方はどちらも60代半ばから後

半という方たちで、大変元気であり親切でもいらっしゃったが、しこ名を知っ

ている方の年齢としてはもっと上の方を訪ねるべきであったかもしれないとい

いう感じもある。しかし実際あの付近でそういった年齢の方を探すことは難し

く、また時間の関係もあったために、今回のような調査結果が限度であった。

しかし古老(?)の大変貴重な話をきくことができて、新しく農業をとらえる

視角を持てたように思う。今後も様々な経験を通してさらにいろいろなことに

視野を拡げていきたい。     (大庭)

 

 佐賀にはいい人がたくさんいた。公民館の人たちにも感謝。

 ちゃんとおれいの手紙をだそうと思う。 

 けいたい電話をもっておくべきだ。  (佐藤)



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