芦刈町のしこ名 再調査のレポート 木村 悠二 芦刈町 立野、八枝 話者: 川原 寛 立野 ジャージョ、ジュウノワイ(十の割)、セドウ(瀬道) 前回調査と同一 八枝 マツノモリ、ニシブクロ 前回調査と同一 芦刈町 三条 話者: 古賀 司農夫、上瀧 和男 ハネキンドゥ(羽根木戸)、 マタハチカラミ(又八搦)、ガンズー(雁津)、 ヨンチョウゴモリ(四丁篭) 小字と一致 1日の記録 午前8時 家を出る。30分に駅に到着。鳥栖までの切符を買う。 9時 少し過ぎの列車に乗る。10時前に鳥栖に着くが、乗り換え で1時間近く待ちぼうけ。 11時 肥前山口行の列車に乗り込む。牛津についたのは昼前と随分 遅くなる。 12時 目的地の方向は分かったが、調べる範囲がもの凄く広いこと に驚愕する。地図で大したこと無いとおもった距離が徒歩だ とひたすら時間がかかることに気づく。 午後1時 とりあえず立野で前回話をしてもらった川原さんのお宅を訪 ねる。話をすると、前回の3つのしこ名を教えて下さった。 「第一、 ここらは耕作者が少ないからね。あんまりそういう のはないんじゃない」とのお言葉を頂く。 そして古老・森永さんのお宅をうかがうが、本人は結婚式に 呼ばれて留守とのことるらしい。 他の家人は残念ながら地名については知らなかった。 3時 川越に赴く。が、前回調査の話者はいらっしゃらなかった。 そこら中を歩いて道行く人々に尋ねるが、結局地名をくわし く知る人はおらず、三条の方へ行く。 4時 前に付いて前回調査の話者を訪ねるがここも家にいらっしゃ らず。他の家をあたると、まだ高齢とはいい難い古賀さんに 「ここらはハネキンドゥというよ。」と教えてもらう。 小字の通りである。しかし、今現在区役所で使われていない 名前だそうだ。他にありますかと聞くと、古老の上瀧さんを 訪ねるといい、と言われ即実行。畑仕事の合間をぬって尋ね てみたが、やはり小字のみだった。しかし小字図の間違い (四丁搦入→四丁篭)や、小字の由来(津は港のことで、 干拓地だからその名が付く所がおおい)等さすがに古老とい った感じだった。尚、話によると三条は200年ほど前に干 拓された所で、その時命名された地名がそのまま残っている のではないか、とおっしゃられた。比較的新しい場所だから しこ名というものが無いのかなと思った。 なお、結局調査しきれなかった道免・牛王も新しい干拓地だそ うだ。ちなみに、小字は昭和56年か57年に変更された模様。 午後6時 力尽きて帰る。 感想 今回は前もっての準備がなってなかったことと、地理を考えてなかった所に大きな反省をするべきだろう。再調査というからアポなしでいいやという考えと歩いていける距離だろうという考えがいかに甘いものかを現地で思い知らされた。結果、随分とお粗末な結果しか(新たなしこ名が見つからなかった)でなかったのも当然だろう。 次回があるならばキチンとアポをとり、牛津までと着いた後の交通機関を考えておきたい。後、八枝のしこ名の位置確認をしておきたい。 |