“小路(芦溝のうち)” 松井 充 三浦 敬史 宮崎 良平 協力していただいた方 福田寺の住職さん(女性) 昭和19年生まれ 古賀 嘉正さん 大正4年生まれ 村田 実次さん 大正14年生まれ 芦溝―小路− 二ノワリ 二ノ割 サンノワリ 三ノ割 ヨンノワリ 四ノ割 ゴノワリ 五ノ割 イリチ 入地 ニケンヤ 二軒屋 クリハラゴモリ 栗原籠 田畑 フクデンジゴモリ 福田寺籠 ミッタヤシキ 水田屋敷 ボウズッパラ 坊主原 ゴタダ 五反田 クマシロ 神代 ヒガシトクシマ 東徳島 ニシトクシマ 西徳島 ナカドオリニシ 中通西 ナカドオリヒガシ 中通東 マツゼ 松瀬 テンジン 天神 カワクボ 川久保 ジュウノツボキタ 十の坪北 ジュウノツボミナミ 十の坪南 テラダ 寺田 ゴタダのホイ 五反田の堀 堀 トクシマボイ 徳島堀 ヨコボイ 横堀 1日の行動記録 12月21日(土) 朝9時に山本に電話で起こされる。 12時に久留米駅集合のはずだったのに、10時に校内に集合!? 六本松からバスで天神へ。とりあえず、今の時期はみんなテストやレポート や追試に追われててあまり準備ができなかったので、中央郵便局の近所の地図屋で1/25000の地図を購入! 町役場は土曜日で閉まっているので、地図上に乗っている寺社の電話番号を しらべたが、廃寺が多くわからなった。 11時30分の電車で久留米へ。三浦氏の仕事がなかなか終わらず、職場で 待った。それから、3時30分頃目的地に突入。何もない。PHSも携帯も 入らない。5人のうち2人は小城町の方に行ったので、帰りに車で拾わなければならない。どうしよう。まぁいい、しこ名を調べてから考えよう。 途中、ここまで来る間、人と会わなかったし、村は静まりかえっていて、すごく不安になった。そこで、まず、福田寺に入ることにした。 「ピンポーン」「はーい!(女性の声)」「すいません。ご住職は?」「私です。」 「えっー!」 女性の住職にちょっとビックリした。 名前を書いた紙をわすれたので、名前はわからないが、とにかく、「十の坪」 しか知らなかった。そこで、村の一番のもの知りを紹介してもらう。井原さんというおじいさんだった。福田寺から徒歩1分、井原さん宅、「ピンポーン」 「…・」応答がない。窓をのぞくとテレビがついている。思い切って玄関を開けて大きな声で言ってみた。すると、おじいさんがやっと気が付いて出てきた。しかし、耳が遠い、というよりまったく聞こえないらしい。井原さんを断念し、田んぼの中を歩くと堀の土堤で草を刈っている村田実次さんに出会う。「しこ名ばおしえてくんしゃい。」「しこ名なんかなか」「じゃ、この田の名前は?」「こりゃ、栗原籠(これがしこ名)たい」ということで、ねばって色々な名前(10くらい)を聞き出したが、雨がふり出してしまった。雨がやんでからまた、田ん中をさまよいあるく。古い家に入ってみる。だけど、若い人しかいなかった。古賀嘉正さんに聞いてみたらといわれたので、行ってみる。最初の角をまがって2軒目だと言われた。が、角をまがっても、水路しかない。前方200mくらいに1軒家があり、そのまた先に古賀さんの家を発見!向こうの人の感覚はわからない。突然うかがったにもかかわらず「お腹がすいたでしょう」といわれ、「すいてる」と言いたかったが、そんなことしてると調査がおわらなくなる。辛抱して「いいえ」とこたえた。 古賀さんは圃場整備のときの区長さんだったので、圃場整備の図面をたくさん持っておられた。しかし、しこ名で切ってあるという地図は出てこなかった。そこで一応電話番号を聞いておいたがレポートのほうが先に出来てしまった。 81歳とは思えぬしっかりした方だった。そんなこんなで、佐賀を後にしたのは7時頃、あたりは真っ暗。渋滞にまきこまれ、家に着いたのは9時半頃だった。 |