歴史と異文化理解A

現地調査レポート

                          坂井 裕太

                          荒巻 正秀

 

(行った所)

 芦刈町  六丁

 

      東戸崎 

 

(古老の名前)

 六丁   新郷さん

 東戸崎  森永さん(70歳ぐらい)     その他大勢の方

 

(しこ名の一覧)

 (六丁)田  シケンボイ    (東戸崎)田   キタノサキ

        ゴチョウチョウ           ミツサキ

        ニゲンボイ             オケゴ

        サンゲンボイ            ネコボイ

        タハチガラミ            ヒガシノデイ

        ハチノワイ             カモチ

        ロボッキャ             ヨコワリ

        イナイガク             ナネガラミ

        シンガタ              ハヤシノウラ

        ウラボイ              カワガラミ

                          ヨシノカラミ

                          ヨコワリ 

                          ハッタンボウ

 

 

(しこ名の由来)

 

 ハッタンボウ          この辺りの土地は、昔海で、それを干拓

                 したものである。そのため、この辺りまで、ほかけ舟が行き来していた。その舟のほが、八反あったことから、この「ハッタンボウ」という名がついたそうだ。

 

シケンボイ            この名の由来は単純である。ただ、田の幅が4間あったとうことから、「シケンボイ」という名になったそうだ。

 

カモチ              この名の由来は、簡単に言えば、地主の名前がそのままついたということであるそうだ。また、この地主は、このあたりが小城の侍の支配下にあったことから、選挙なんかがあったりしたときの投票用紙なんかを小城へ運ぶ役目なんかがあったそうだ。

 

しこ名というものは話を聞いた古老がものごころついたころから、自然と長く

使われていたものであるから、由来が分からないしこ名が数多く存在した。

しかし、名称である以上何らかの由来があるのは確かだろう。

 

 

我々が今回調査したのは佐賀県芦刈町の六丁地区・東戸崎地区で、我々の班は自

由行動の班であったので、JRを利用して行きましたが、最寄りの駅が目的地

から多少離れた牛津駅であったため、それからの移動に苦労しました。事前に

聞いてはいたはずですが、本当にバスが1時間に1本しかなくて、電車を降り

てからはずっと歩くはめになってしまいました。途中コンビニエンスストアも

1軒しかなく、昼食をとるのも大変でした。天候もスコールのような通り雨の

後に猛暑でまったくやられたといった感じでした。

結局一時間半ほど歩いてようやくのことで六丁地区にたどり着き調査を開始し

ました。いわゆる“アポなし”の調査であった上、見知らぬ人お宅への訪問と

いうことで最初少し躊躇するところもありました。ですがとりあえず手近にあ

った農家風の家を訪ねてみると農家はやってないとのことだったのでそれから

そこで紹介してもらって、もう一軒少しきれいな家へ向かいそこで訪ねるとそ

この家の田のしこ名しかわからないとのことで今年変わったという生産組合長

の家を教えてもらいスイカまでもらって道端で田んぼを背に食べて次へ。その

後その生産組合長宅へ向かったものの組合長は不在でそこの家の人にその地区

の先輩の方で水田について詳しいという新郷さんのお宅を紹介してもらいそこ

でやっと多くのしこ名を聞くことができました。そこで聞き出したのがサンゲ

ンボイだとかニケンボイだとかのしこ名で我々のような若者がそんなことをた

ずねてくることに驚きながらもわざわざ仕事を中断して教えてくれました。

話によるとそこら辺の地区では圃場整備事業もまだまだ元々使われていたしこ

名を出かけたりするときなんか「サンゲンボイに行ってくる」といった感じで

使われているらしく“しこ名”という言葉もすんなりと通じてくれてよかった

です。

六丁での調査を一通り済ませた後、東戸崎へと向かった。最初に何軒か訪れた

が、留守でなかなか人に会うことがなかった。でも、六丁より住宅が多かった

ので、そのうちなんとかなるだろうと話していた。

そのうち人がいる家にたどりついたが、そこの人はちょっとよくわからないということで話をきくことはできなかった。このままではいけないと思い始めたころ、ちょうど岡本商店というお店があって、2〜3人のおばさんが集まって

話をしていた。これを見逃す手はないと思い、ガムを買って、話を聞くことにした。でも、おばさんたちが古老というほどの年ではなく、農作業をやっていなかったこともあるが、第一の理由に東戸崎ではしこ名を使わずに区画整備後の名称を使っているということから、はっきりとしこ名をきくことはできなかった。しかし、このおばさんたちのおかげで、これから後に話をしてもらうことになる森永さんを紹介してもらえた。

このおばさんたちの情報を得て、我々は多少道に迷いながらも森永さんのお宅

にたどりつくことができた。ここには、年配の夫婦がおられた。さすがにこのお二人は、最近つかわなくなったしこ名をよく覚えておられて、雑談を交えながら、ポンポンとでてきた。この雑談のなかで水のことについてきいてみた。

今年は梅雨の時に雨が多すぎたために、稲に対して悪い影響があった。しかし、一昨年は水不足であったので、そのことをきいてみると、森永さんがおっしゃるにはダムがあったので、そのおかげで助かったということだった。でも、ダムの水を引いているといっても、上流の人と下流の人の間には、水の優先権なんかでもめたりしてそれが役場にまでクレームがいったりしていたらしい。

このような水についての争いは昔はよく起こっていたことらしい。田んぼの横に大きな穴を掘って水を貯めていたりして、それを使うことでもめたり、その穴を掘ることでできた土を肥料としてどこの田んぼが使うかなどでもめていたらしい。また、この争いは部落単位の対立であったそうだ。

その他に、この辺りの土地はもともと長崎県の領地であったのでその証明として、教科書でしかみたことがなかった地券というものをみせてもらった。

 

この調査を終えて…・

このように、聞き込みしたり、地図をみて始めてくる知らない土地を歩き回ったりというのは初めての経験だった。その初経験についての感想だが、なんかテレビゲームの主人公が情報を集めてゲームをクリアしていくのと自分がだぶってみえたりして、日差しが強くてきつかったけど、いい経験をしたなぁという感じがした。あと、我々が回った地域の人々は親切な人が多く、分かりやすく話をしてくれたし、よく調査に協力してくださり、スイカやお茶なんかもだしてくれた。あと、天気は雨が降ったり、かんかん照りになったりときまぐれだったのには困った。買ったカサは無駄になったし…・。なにはともあれ、自分にとっていい経験になったと思う。

 

地図あり 地図に書き込み(佐賀県立図書館所蔵)



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