歴史と異文化理解A

芦刈町調査レポート

《八枝一立野》ITE96603佐藤しのぶ

<お話を伺った方>

森永三徳さん(前区長)

森永敏郎さん

遠田一彦さん

永江幸成さん(現区長)

<しこな>

いきあたり(行き当たり)

にしぶくろ(西袋)

《森永三徳さんより》

にちょういび(二丁井樋)

やぼ()

じゃ一じょ

《森永敏郎》

 

 

立野

<お話を伺った方>

永松和久(現区長)

川原寛(現生産組合長)

<しこな>

じゃ一じょ(漢字不明)

じゅうのわい(十の割)

せどう(瀬道)

《永松和久さんより》


しほんまつ(四本松)

まつごもり(松篭)

しちのわい(七の割)

みなみがらみ(漢字不明)

おきじんがらみ(沖神搦)

ふなやがらみ(船屋搦)

くりはらこもり(漢字不明)

さんげんぽい(漢宇不明)

《川原寛さんより》

 

714日当日の行動

930分鳥栖駅にて班員と合流

(車で行く予定だったが、車の免許が取れず、また、夏休み

に入っていたので実家のほうから直接鳥栖駅に集まることに

した。佐藤《し》、川原は車で直接鳥栖駅に、佐藤《卓》、

執行は久留米から汽車で、佐野、赤松、鈴木、石田、坂井は

博多から櫛で、大庭は晦山から牌で合流)

950

1030

11

1130

i

鳥栖駅発車

(佐賀駅で荒巻合流)

牛津駅着

(少し雨が降っていた。

帰りの切符を買い、帰りをどうするか話し合うが、待ち合わ

せの適当な場所がみっからず、とりあえず駅をでた。)

雨が激しくなり、雨宿りをする。

傘をもって来てない人が多かったので、《SERIO》とい

うスーパーに何人かで傘を買いに行く。

2799円の傘4本と、21500円の傘2本と、一本

700円の傘を一本買う。

傘をもって、(勝手に)雨宿りさせてもらっていた家に行く


12

1230

/

130

と待っていた人たちは、その家の前の公民館で雨宿りしてい

た。傘を買って、別行動にはいろうというときに、雨が弱ま

る。

川原、佐藤《し》、鈴木、執行、石田、(岡本は当日来なかっ

た。)と、佐藤《卓》、大庭、荒巻、坂井、赤松、佐野の2

っのグループに別れる。

森永酒店で、鈴木、石田、執行が昼食を買う。

店番をしていたおばさんにしこなをきく。

2年前まで、区長をしていたそうで、親切に教えていただい

たが、《いきあたり》と《にしぶくろ》しかわからず。

区長をしていたころは、しこなをかいた地図があったらしい。

探してもらったが見つからなかった。

もしかすると、いまの区長さんがもっているかもしれないと

のこと。

ただ、昔は、役場で使われていたしこなを用いて、《1本松

OOO》というふうに番地を使って呼んでいたらしい。

森永酒店さんは、昔からの農家であったらしいが、あまりし

こなはわからなかった。

雨が降りだし、森永酒店さんの近くの神社で雨宿りをしなが

ら昼食をとる。

現八枝区長永江幸成さん宅を尋ねるが、門扉の前に、車があ

り、はいれず。

森永酒店の公衆電話で電話をかける。

区長さんに尋ねると、区長さんは昔からの農家ではな

いので全くわからないとのこと。

森永酒店さんのほうで伺った地國のことも尋ねたが、地図も

ないとのこと。

遠田一彦さん、森永敏郎さんが昔からの農家であることを教

えていただく。

遠田一彦さんの家に伺う。


2

210

230

しこなのことをたずねたが、まったくわからなかった。

森永敏郎さんの家に伺うも、お話を伺えず、

永松和久さんのお宅に伺うことにする。

永松和久さんのお宅に伺う。

永松和久さんと永松さんの奥さんにお話を伺う。

《じゃ一じょ》、《じゅうのわい》、《せどう》というしこ

なを教えていただく。

この時点では、《せどう》というしこなは《瀬戸》という漢

字を書くと教えていただく。

立野の地図を探していただいたがしこなを書いた地図はみつ

からず。(おそらくこれは、八枝の前区長の森永さんがおっ

しゃっていたのと、同じものと思われる)

永松和久さんが生産組合長の川原寛さんに電話をかけてくれ

て、川原さんにお話が伺えるようにとりはからってくれた。

(川原さんのお宅まで車で送っていただき、お話を一緒に聞

いてくれた。)

川原寛さんのお宅に伺う。

《しほんまっ》《まつごもり》《しちのわい》《ふなやがら

み》《みなみがらみ》《おきじんがらみ》《くりはらこもり》

《さんげんぽい》《じゃ一じょ》(《じゃ一じょ》というし

こなはよく使われていたらしい。)というしこなをおしえて

いただく。

川原さんに《せどう》というしこなの漢字は《瀬戸》ではな


く《瀬道》であると教えていただく。

永松さんが、川原さんにしこなに詳しい人はだれかとたずね

てくれた。

先程伺った、森永敏郎さんがやはり一番詳しいらしく、永松

さんが、森永さん宅までつれていってくれた。

250分森永敏郎さんのお宅に伺う。

伺ったときは、森永さんはお留守で、お孫さんにたずねると

たんぼに行ったらしいということなのでそちらのほうに向かっ

てみたが、いらっしゃらないようなので、もう一度森永さん

のお宅に伺ってみると、入れ違いになってたようで家に帰っ

ておられた。

(森永さんは、私達を瓦の修理やさんというか、セールスの

ようなひとだとおもっていたらしい)

《にちょういび》《やぼ》といったしこなを教えていただく

が、あまり覚えていない様子だった。

515分牛津駅から鳥栖行きの急行に乗る。

 

虎坊など、立野、八枝以外のしこなを教えていただき、立甥、八枝のしこなは

あまりわからなかった。だけど、皆あまり覚えてなく、「一本松のOOO」と

いうように、役所で使う《しこな》を結構使っていたらしい。それから、先生

がおっしゃていたように、私達は、大雨とカンカン照りを経験し、どっとつか

れてしまった。



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