川嶋 美津子

  梶山 祐子

  尾崎 裕子

  奥村 麗

 

浜枝川

 

田畑   小字 浜中のうちに   アシミゾ(芦溝)、トクシマ

                 サンゲン 、ヤドミ

                 ヨコシド 、ハナキレ

        川越のうちに   セドウ(瀬道)、セドウガラミ(瀬道搦)

                 オオガミガラミ(沖神搦)、ホコラ(祠)

                 カエチガラミ(替地)、ゲニャー、

                 カンノンガタ(観音潟)、オイタテ、

                 ツブケ、キタビラ(北平)、ハッタンガク

                 (八反角)、シノワリ(四ノ割)、シモク

                 (下区)、ナガウネ(長畆)

 

ほか   小字 浜中のうちに   トクシマ(堀)

        川越のうちに   シノワリ、ハカノニシ、ハカノヒガシ、

                 スジカイ(筋違)ノホリ、(堀)

                 ゲニャーミチ(道)  〔古道〕

                 柳鶴の渡し場     〔渡し場〕

 

 

川越   飯田さん

     江頭さん

     辻さん

     森永 和見さん   (大正10年生、75歳)

     (この方が川越の地名を一番くわしく知っていました。)

 

浜中   古賀さん

     大町さん

     浦 源吾さん

 

昔の配水について(森永 和見さんのお話)

 

・大和町の川上、淀姫神社のそばから、西芦刈水道の水を引いた。

・三日月、牛津町、大和町、芦刈町で共有。

・約束事(水を引く時間帯など)は、三日月にある水利組合で決められた。

 (ちなみに森永さんの時は、役員の森さんという人が権限を持っていた)

 

・水引き…・川越は西芦刈水道の末端だったために、40人くらいで井樋(水の

     取り入れ口)を見張った。(井樋番)。川越の人は一軒から1人だし  

     ても30人くらいだったので、川越に田んぼを持つ、よその部落の

     人も手伝ったり、一軒から2人くらいでることもあった。井樋のみはりでは、水路に勝手に穴をあけられた時は、草をつめこんで穴をふさいで水を守ったりした。

 

1994年の水不足について(森永さんのお話)

     普通は取水時間などは特にないが、1994年の時は時間が決められていた。(お話をうかがった時の印象ではそれほど大変な事はなかったようでした。)

 

 

地名、しこ名について

     浜枝川  浜中(はまじゅう)のはま、八枝(やつえだ)の枝、川  

          越(かわごえ)の川から成り立った名前。

 

     八立虎  八枝の八、立野(たての)の立、虎坊(とらぼう)の虎

          から成り立った名前。

 

     観音潟  まだ海だったころ、現在の観音潟の場所に観音丸(かんのんまる)という船が沈んだため。はじめはその地点にほこらがつくられたが、後に少し北の方に移された。

 

  

一日の行動記録

 

  三王アでバスをおりて浜枝川まで歩いた。はじめはどこが浜枝川かわか

らなかったが、庭先にすわっていたおじいさんに尋ねて、そこが浜中であ

ることがわかった。浜中から調査を始めたが、浜中にはよく知っている方

が留守で、あまりわからなかった。浜枝川は範囲が広かったので、2人ず

つに分かれ、浜中と川越を調査した。たくさんの家を訪ねていたら、よく

知っているおじいさんに会えた。帰り際に、グランドゲートボールをして

いるおじいさんおばあさんにもお話をうかがって、浜中のしこ名をも入手

できた。そこでは、バター飴や塩あめなど、お茶菓子をふるまって下さっ

た。再び三王アでバスに乗った。浜枝川の方々との交流をもつことができ、

楽しく調査できたと思う。

 

 

みんなの感想

 

佐賀は田んぼがたくさんあるんだろうと思ってはいたけど、本当にたくさ

んあったので驚きました。天気もよくて、のんびりした所で、なつかしい

感じがしました。いろんなお宅を訪れたけど、ほとんどいい人達ばかりで、

しこ名や昔の話をして下さったり、知らなくても親切に対応して下さいま

した。子供達も素直でかわいかったです。しこ名を尋ねた時、はじめは分

からないことが多かったけれど、旧地図を見せて、「ゲニャーとか瀬道なん

ですけど…・」と言ったら、「そういえばそがん言いよったねー。」と思い出

して下さる人もいました。おじいいさんやおばあさんはなつかしそうに、

いろいろ言い合っていました。でも、詳しく知っている人はほとんどいな

くて、私達から見てお年寄りの方も、「自分は若いからわからんねー」とお

しゃっていました。しこ名は消えかかっているんだなぁと実感しました。

大変だったけど、浜枝川の人々と交流できたし、先生とバスの中でお話でき

たし、充実した1日でした。

                        (川嶋)

 

佐賀は予想と違い、山がなく、平地ばっかりでびっくりした。1つの部落

と他の部落の間が遠くて歩くのにつかれた。冷たくあしらわれたこともあ

ったけど、おじいちゃん、おばあちゃん達がアメなどをくださったり、帰

り道のことなどを心配してくださったり、優しさに触れ、とても幸せな

気分になりました。また、行き帰りのバスの中、先生とお話しましたが、

教官というのは、全然私達と違う人種(失礼な言い方でごめんなさい)だ

と思ってましたが、何だか近い存在に思えました。そして先生の生き方を

聞いて、私も“何かしたい”という気になりました。先生は本当にすごい

と思ったし、先生のお話はとっても私に影響を与えてくれました。また、

お話してくださいね。 

                         (梶山)

 

中の地区を回ったが、家には40,50代ぐらいの人しかいなくて、この

辺りは老人は少ないとかなり言われた。農家をたずねたら忙しいと断られ

て、どちらかというと普通の家の人で休みの日のんびりとしている人の方

がいろいろと話をしてくれた。トクシマの地名を教えてくれた人はトクシ

マをはさんだ藩と藩の争いの話をしてくれた。八枝の方へ行くと、家はた

くさんあったが、農家の人はあまりいないようで、知らないと言われて話

を聞くことができなかったし、ひっそりとして人の気配があまりなかった。 

                            (奥村)

 

おもっていたよりも暖かくて、歩きやすかった。自分では大きな声で「九

州大学の学生ですけど…・」と訪れた瞬間、手で軽くあしらわれ、セールス

とまちがわれたのがショックだった。最初の内、自分たちも訪ね方がよく

わからないで相手にうまく伝わらずに苦労した。しかし後半になると、要

領がつかめてきた。方言がわかるかどうかちょっと心配していたが特に困

ったこともなかった。     

           



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                  (尾崎)

 

 

 

 



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