【佐賀郡大和町吉富地区】

歴史と異文化理解A現地調査レポート

L1-10 1EC95055 国武孝次

L1-10 1EC95028 遠藤秀貴

吉富

・しこ名

  三本松

  ぎょうじゃ

  大島 うーしま

  杉

  八角

  天井指

・水

 水は芦刈川とそこから分かれている山王川、東平川、西平川から引いている。下村は芦刈川のポンプからも引いている。吉富は芦刈川から近く、水も十分に引くことができたが、芦刈川から離れた内部の村々はあまり十分に水を引くことができなかった。それで昔は鎌をもって激しい水争いがあった。

・水不足

 1994年の水不足の時の水対策としては、他の村からのもらい水があったが、それは2,3週に1回ぐらいしかもらえなかったらしい。時間給水ではあまり足りなかったらしい。もし30年前に怒っていたら、とてもやっていけなかっただろうとのことだった。

・田

 吉富の裏作ができる田は麦やバラが作られている。良い田では反収67俵、悪い田では34俵だということだ。

・村

 各部落一つの家に8反ぐらいの田があるが、誰も耕作する人がいない家が多く、これからは大きな農家に田を預けて一部落に一つの農家という時代がくるのではということだった。

 現在の社会では農業だけで生活していくのは困難らしく、ほとんどが兼業農家で自分たちの米だけつくる農家も多い。

・願望

 今は後継者不足で、各部落に一人か二人の後継者しかいないらしい。そこで、イマジネンティブなやる気のある若者を募集中とのことだった。

・お話を伺った方

 池田幸種さん(55)

  昭和14年生まれ

 門司生まれで父親は国鉄の職員だった。のちに佐賀へ来たらしい。

 

追記

 下村は調査する相手の人と連絡がつきませんでした。吉富の池田さんから下村の範囲だけ聞くことができました。

 



戻る