【佐賀郡大和町横馬場地区】

歴史と異文化理解A現地調査レポート

1EC95130 原 敬之

1EC95145 藤丸慎司

 

お訪ねしたお宅

 松尾伝治さん(大正12年生まれ) 専業農家(米、ミカン)

  松尾浩一さん(昭和29年生まれ)

 

Q この地図で松尾さんのお宅はどれですか?

A 地図参照。ピンク色(地図省略、佐賀県立図書館所蔵)

Q 北はどちらになりますか?

A 山の方が北。地図参照。黒色。

Q 横馬場(よこばば)地区はどのくらいの広さですか?

A地図参照。緑色。

Q 田ん中のしこ名というか、ここの人だけで通用する呼び方があれば教えて下さい。

A 地図ではミカン畑になっているけれど、今じゃほとんど田ん中でよ。地図参照。

Q 山などもそのような呼び方がありますか?

A 地図参照。所山(ところやま)、桂石山(けいせつやま)、男女山(なんにょやま)

Q 田ん中の水はどこから引水するのですか?

A 神水(しんすい)川と浦田(うらた)川から道路に沿って水路を引いている。

Q その水路に特別な呼び方はありますか?

A 別にない。地図参照。川は青色、水路は水色。

Q 昨年の水不足はどうでしたか?

A 大変だった。西観(しゃかん)池や西田(にしだ)池も涸れたので井戸を掘った。補助が出てボーリングで50mぐらい掘ったけれど、全然水は出なかった。まだ北方の川の上流地域の家は水があったが、南の川の下流域の家まで水が回らなかった。そこで、上の方の家と、下の方の家でケンカがあった。そのためか、町内運動会が中止にもなった。下の方の家まで水を回すため徹夜で番をした。一昨年なんかは学校のプールから水を取ったりした。

Q 共同で作業はなさいますか?

A ミカンは共同で作業をやったりすることもあるが、水については各家々でやっている。

Q 近くの公民館で会合とかありますか?

A 日頃はミカン組合や婦人会、育英会などが使っているくらいだけど、田植えや稲刈りの時期には周に一回ぐらい集まる。

Q 男女(なんにょ)神社ではお祭りとかありますか?

A 時々、町の役員の人たちがやっているけれど、たいしたことはしないよ。年によって当番が決まっていて、祭りの日にはその人の家に集まって食事会をしている。昨年の渇水で雨乞いをした。

Q 昔から水がよくとれる所、逆にあまりとれない田ん中がありましたか?

A やっぱり水回りのよい、川の上流の地域がよくて、水回りの悪い下流地域が悪かった。

Q 過疎は?

A 小学校とか大和町に3つあるけれど、来年から4つになる。佐賀市に近いため住宅がたくさん建ち初め人口は増えている。佐賀県中の町では一番発達し始めているんじゃないかな。

Q 裏作とかやっていましたか?

A ちょっと前まで麦を植えていたけれど、3年前の大雨で生産が合わなくなりやめてしまった。

Q 圃場整備は?

A バスの通っている道路から下()方の地域は整理されているけれど、この辺りは整理されていない

Q 将来的にはどうしたいと思われていますか?

A 増やす気持ちはないし、食べる分だけ作っていきたい。ミカンがよかった頃はみんながミカンに力を入れていたが、またミカンが駄目になると、水田に戻ってしまった。ミカンも米もこれ以上(売れ行きが)よくなることはないだろう。

 

感想

 自分の実家に似ていてとても親しみやすかった。お訪ねしたお宅の人がとても親切な方で、お茶やお菓子、そして昼食も御馳走してもらい、御土産にミカンまで下さった。ちゃんとお礼の手紙は出しました。

 前述のように大和町は発達してきているので、そんなに将来的に不安はなさそうだった。自分の実家も兼業農家で過疎の進んでいる町なので、結構話が合い、盛り上がった。友達は名前を言っただけで家がどこにあるか分かってしまうことに驚いていたが、自分には当たり前のことに思えた。大和町が発達してもこのような家庭はいつまでも終わらないで欲しいと思った。

 



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