【佐賀郡大和町小川、野口地区】

歴史と異文化理解A現地調査レポート

1EC95201 安土 勉

1EC95215 大場一寿

小川(コガワ)

・しこ名地図アリ。(地図省略、佐賀県立図書館所蔵)

 

 地図上の説明としこ名の由来など。

赤のペンで道をなぞった部分は、自分たち(大場、安土)が小川の中で歩き回った部分です。東古賀の内田さんから、小川の古川さんの家を訪ねて歩きました。古川さんの家はずっと上の方なので、地図に入りませんでした。

 

大坪さん宅は、古川さんが小川に詳しい人として紹介して下さいました。このレポートの全てのしこ名は大坪さんから聞いたものです。もし来年の授業で小川に行く人がいれば寄ってみるのがいいでしょう。

ちなみに大坪さんの孫は九大の医学部だそうです。

 

・吉田、吉田の出

 この名前はこの辺に住む吉田さんの名前から付けたそうです。

・馬倒し

 今から400年から500年前に、この場所で戦があり、馬倒しの湿田にワナをしかけ、敵の馬をおびき寄せて戦ったそうです。

・天神さん北、東

 この場合の天神さんとはもちろん天満宮のことで、天神さんの西南はなく、いうなれば南には屋敷田というしこ名があったそうです。

・小川

 なんと「オガワ」と読むのではなく「コガワ」と言うんだそうだ。何かしっくり来なかった。

・前畑東、前畑西

 これが今回最も興味があった畑でした。名の由来などは分かりませんでしたが、前畑の近くまではずっと昔は海ではなかったかと大坪さんはおっしゃっていました。大坪さんが若い頃トラクターで畑を耕していると焼き物の鉄砲玉や皿が出てきたそうなので見せてもらいました。

 

(大場一寿)の佐賀調査を振り返って

 結論から言えば小川のレポートはよくできた。興味のある話もたくさん聞いた。しかし、野口については全くだめだった。手紙を出したが断られてしまったので、佐賀へ行き野口付近の老人ホームまで歩き、いろいろ聞いてみたがしこ名については何も聞けなかった。その後も大坪さんから野口まで送ってもらい、亀川さんという人が詳しいと聞いたので行ってみると、「ここらへんではしこ名はない。」と何かはねつけられた感じだった。

 用意していた野口の地図も「野口」と隅の方に名が書かれているだけで、道、畑などの地形は地図の外であった。これが一番悔しかった。

 残念なこともあったが逆に勉強になる点はもっと多かった。吉野ヶ里、まさか行くとは思わなかった。外にも丸山古墳(なぜか名前は知っていた)、鍋島直正の御墓所などしこ名を聞きにきたのにわざわざ遺跡めぐりをさせてくれた大坪さんに感謝しています。

 129()は僕にとって充実した長い一日でした。

 地に歴史あり、そう思って帰りました。

 

大坪さんの家を訪ねた後@

 大坪さんの家から失礼しようとした時、「せっかくきたのだから、ちょっと遺跡を見に行こう」と誘われた。我々は断る理由がないので、ご厚意に甘えることにした。

まず大坪さんのお宅からほど近い前方後円墳を見学しに行った。ここで我々は「折角だから野口の田ん中のしこ名のことを知っている方の所に車で連れて行ってもらおう」と秘かに思い口に出したところ「それじゃ、鍋島直正の御墓所を見てからにしよう」と言われたので、また遺跡を見ることにした。

この墓はあまり人目につく場所ではなく、しかもひっそりとしていて地元の方でないと分からない場所にあった。私は世界史をとっていたので鍋島直正と聞いてもピンとこなかったが、大場君はかなり興味深げに見ていた。見学した感想はあまりにひっそりしていて不気味な感じはしたが、墓であるからひっそりとしていていても当然だと言えば当然だと思えた。その後、野口の田ん中を知っているであろう方の所へ連れて行ってもらった。

 

野口

 お話しを聞きにその方の所へうかがった所、「この辺はしこ名はない」と言われがっくりときた。

 

大坪さんの家を訪ねた後

 がっくりときていた我々を見て、大坪さんは「まだ時間があるから丸山遺跡も見に行こう」と言われ、我々は少し動揺したが、野口まで連れて行ってもらったので断るわけにもいかず、まだ時間も残っていたので連れて行ってもらうことにした。

 ここは皇學館(ママ、入力者注:弘学館カ)という高校の近くでちょっとした公園のようなつくりになっていた。ここの遺跡はすぐ側を通っている高速道路が建設されるときに移動させられたそうだ。

 ここの遺跡は大場君が言うにはかなり有名なものらしいが、私にはただの丘にしか見えなかった。また、大坪さんは「この辺は昔から人が住んでいたんだね。遺跡があちらこちらで出て来るよ」とおっしゃった。よく辺りを見渡すと三方は山と丘に囲まれ、その中に広々とした平野もあり、海にも近く、本当に住みやすそうだと思った。

 

バスに乗り遅れた理由

 ここで我々は心の中で「もうそろそろ失礼しないとバスに乗り遅れるな」と思っていたが、大坪さんは満足そうな笑みを浮かべて「吉野ヶ里にも行ってみよう」とおっしゃった。

 我々は時間がないことを半分思ったが、大坪さんが30分あれば帰ってこれる」とおっしゃったし、また佐賀に来ることもめったにないと思い、行くことにした。

 吉野ヶ里遺跡がある場所はとても広々とした平野の中にあった。ここは東京出身の私でさえ、知っている有名な所で、是非一度行きたいと思っていた。だが、実際に行ってみると、復元された環濠と博物館があるだけで、ちょっと表紙抜けしてしまった。博物館を見ると、いにしえのロマンのむかしの人の知恵が心に伝わってきて感動した。となりを見ると、大場君も満足そうな顔をしていた。しかし、時間を見ると、もうバスの時間を過ぎており、ちょっとあせった。仕方がないので大坪さんに車で適当な場所で下ろしてもらおうとしたところ、何か勘違いされたらしく、我々は金立パーキングエリアで下ろされてしまった。この後大坪さんと別れ、我々は……。

 

(安土勉)の感想

 私たちの現地調査はとても疲れたものとなった。古川さんのお宅を伺うまでとても歩かねばならなかったし、また吉野ヶ里まで見学に行き、とても疲れた。しかし、電話がなく、困って老人ホームに行ったとき、とても親切にされて人の優しさを感じ、また大坪さんにもとても親切にされ、こちらが困る位であった。しかし、家に帰った後、ふと「机の上で勉強していても、この満足感は得られない」と思った。やはりどこかで聞いたことはあるが、歴史はフィールドワークが一番重要なのだとも思った。

 最後に金立で別れた大坪さんの残念そうな顔が忘れられない。



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