【佐賀郡大和町西山田地区】

歴史と異文化理解A現地調査レポート

1EC95061 高山裕佳里

1EC95063 古賀多恵子

 

 

私たちは佐賀県大和町西山田の山田俊男さん(80歳 大正4年生)、ヨシエさん(77歳 大正7年生)ご夫妻に話を聞いた。

西山田村のしこ名は地図上に示してあるとおり(地図は佐賀県立図書館所蔵)、場所を特定できるものは貴船宮の森周辺が「あんにょうじ」、その少し北が「あみださん」。西山田の部落の少し東が「てらのやしき」、そのまた東が「ひがしのでい」、その南が「やつえ」と呼んでいたそうだ。その他、名前は覚えているが場所の特定ができないものとしては、「こぐまのまえ」「わきちさん」「ひらまつ」があった。

昔、この地区では西山田堤、扉の陰堤という二つの溜池があり、そこから水を引いていたが、やはり水争いは干ばつの時などに特に起こったようで、各家で担当の人が水の見張りをしないと堰き止められたり、この地区は北から南へ傾斜している地なので、南の方の人(低地)の人が棒でつついて水を奪ったりしたそうだ。また、干ばつの時でなくても、溜池は西山田にしかないので、他の地区の人がその水を使うときにはお金を払ってもらっていたそうだ。

昭和36年に干ばつがあり、大変不作となってこの地区は斜地なので下の方に水が流れてしまい、井戸の水も出なくなり、その時に水田が畑に大部分が変わってしまった。そして今では西山田の周りは、多くが果樹園になっている。また、西山田の北の山にゴルフ場を作るために削ったので水源がなくなってしまい、1994年の干ばつだった時は春日の方から水道管で水を引いてとっていた。しかし、それも時間給水であった。

先ほども述べたとおり、この地は斜地であり、そのため南方が湿田、北方が乾田である。湿田は1反当たり56俵、乾田は78俵ぐらいとれるそうだ。

その他様々な話を聞き、若い人が次第にいなくなっていること、お嫁さんがあまり来ないことなどを知った。あと東山田の方を訪ねるようにしていたが、あいにく入院中のようで、他の方を探そうとしたが悪天候のため困難であった。結局1つの家しか訪ねることができなかった。



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