【佐賀郡大和町南小路、新道地区】

歩き、み、聞く歴史学現地調査レポート

1AG95234 松尾律子

1AG95269 吉松丈博

 

<南小路(みなみしょうじ)

しこ名の由来

・耕地整理(こうちせいり)

 明治時代に作業しやすいように田んぼを整理したためこの名が付いた。現在は宅地化されて尼寺団地となっている。

・井釜(いがま)

・開田(ひらきだ)

 明治時代、旧263号線に馬鉄を作るために土が必要となり、ここから土をやったために田んぼとなった。そのため開田という名がついた。

・西の畑

 西の外れに畑があるためそう呼ぶようになった。

・上りたて(あがりたて)

・土井外(でいほか)

・網走土井(あしろでい)

・横小路(よこしょうじ)

・乾田(ほした)

・二ノ角(にのかく)

 田の広さをいう。一角=五反。この土地は二角だったのでそう呼ばれるようになった。

・三ノ角(さんのかく)

 二ノ角と同じように田の広さが三角だったのでそう呼ばれた。

・下手の橋

 用水路の下の方にある橋だから。

・耳取川(みんといがわ)

 昔底なしだったこの川に和尚さんが落ちてしまった。みな助けようと思ったが、髪の毛がなかったため、耳をつかんで助けた。それ以来この川を耳取川と呼ぶようになった。

 

水路のあり方

 南小路の西側では市ノ江川から水を引いており、東側では耳取川から引いている。

 水を引く時期は水の量が最も多くなる610日頃だそうです。そして田植えをするのが20日あたり。昔は今よりももっと早め、527,28日頃水を引いたのだそうだ。

 水は田に入るまで入れるので、何時間とかは決まっていない。井樋番のことについて尋ねると井樋番はいないと言われた。

 昼……部落民全員で水を取り入れる。

 夏……生産組合の方で水を入れる。

 7月……水のいらない時期なので水をとめて水路の掃除、そして中干しをする。藻や草は水路で焼くということだ。

1994年の大干魃の時の水対策はどうしたのかと聞いたところ、たいして被害はなかったということだ。その理由としては二つある。

1.      南小路にあった田が宅地化されて田ん中の数が減ったこと。

2.      この部落は川の上部にあり、水が豊富であったこと。

これら2つの理由から被害が少なかったという。

 水の奪い合いなどはなかった。それは先ほどの理由の2からだと言った。

 村を歩いたときは堀がなかったので尋ねたら、堀はないと言われた。この南小路は市街地なのできちんと舗装され、水路の形がきれいになっていた。

 

今後の農業のあり方について

・農業においての生存競争に勝つためには、より広い土地と地力のある土地を持つことが必要であろう。――金崎さん(60)

・南小路は市街地区域であり、自分だけが農業をしようとすると、農薬散布など周りに迷惑をかけることが多々あり、非常に厳しい。農業を続けようとするなら、農心地区に求める外ない。

また、畑は田んぼより3倍くらいの手間がかかり減ってきている。後継者もおらず、農業は衰退していく一方である。中島重行さん(43)

 

<新道(しんみち)

 田ん中のしこ名を聞くということだったが、新道には昔から畑ばかりで田ん中はないという話だった。これは新道に住む最も年をとられた古老に聞いたので間違いないと言うことである。そして、畑についてのしこ名について聞いたところ、畑に対してはしこ名はつけてなかったということであった。しかし、新道が出来るまでの歴史を聞いてきました。

 

新道が出来るまで

 実はこの新道という部落は存在しなかったのだという。歴史は大正2(1913)まで遡る。ちょうどその頃、国道263号線がこの新道の由来になったという。

 昭和4,5年頃、久池井(新道の上)の人々がこの道沿いに移り住んだ。当時はまだ4,5軒だったそうだ。その当時新道は部落としては人が少なすぎて成り立たなかったので、左上の佐熊(しゃぐま)に加わって行っていた。この当時農業は畑作中心だったという。田はなかった。

 また、久池井に方からインリャク(入力者注:印鑰カ)神社まで畑で、見通しが良かったという。それから4,5年がたって家が10軒以上建ち、この地域に部落ができた。名前を付けようとしたとき、なぜ新道としたかというと、263号線のことを新道と呼んでいたためである。みなその新道に賛同したそうである。それ以来、この部落は新道としてやっている。

 

この新道にはしこ名がない理由

 この新道には文化遺産が多いため勝手にしこ名は付けられない。

 

新道というのは部落の名を決めるときに勝手に付けた名であって、戸籍名ではない。この地域の戸籍上の名は地図にも載せてあるが、一本木、岡裏、字インリャク(印鑰)という。

しかし行政的には一本木、岡裏、字インリャク(印鑰)などの戸籍上の名では通用しないらしい。それよりも新道という名の方が通じるのだと古老は言っていた。

 

古老

 野田喜作さん(83)……春日の農協長。

 小柳輝彦さん(65)……区長さん

 



戻る