【佐賀郡大和町楢田地区】

現地調査レポート

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L,1-11 1EC943110 徳永理志

1EC94311 床嶋明恵

1EC94315 中島麻香

1EC94316 中島琴美

 

補足説明

 楢田では11日は老人クラブの旅行中であったため、ほとんどの老人が不在であった。そのため多くの農家を訪ねたが、少数の方からしか情報が得られなかった。そこで、生産組合長の伊東徳秋さんを訪ねたところ、飼料などを出して頂いたが、圃場整備前のものは処分されており、徳秋さんも圃場整備前のことはあまりご存じなかったので、そのことに詳しい小柳さんを紹介して頂いた。

 

・米の作柄

 ひのひかり(3)

 ひよくもち(7)

  昔はぐいもちを作っていたが収穫が少ないので現在は作っていない。

・用水関係

 うーせーじ

 こせーじ

 →板を上下開閉してためる水を調整する。

 →堰板(戸立)を使って取り入れる水の量を調整する。

・水害について

 昭和20年 1階が浸水する。

 昭和24年 2階まで浸水する。

その後、約25年かかってやっと立ち直った。

ダムができて水害がなくなった。

水害が起き堤防が決壊してその穴を埋めるために田ん中の土を使った。そのために私有の堀が点々とできた。「堀のどっさあった」と言っていた。

・水争いについて

 刑事事件になるほどの極端な水争いはなかったが、旱魃の時は少々あった。水の少ない時は部落の役員が水の監視をしていた。

・むた川について

 水道は川より小さいため排水ポンプを作ってくれなかった。そこで一級河川として「むた川」と名付けた。

・現在の水について

 ある一定の水位より低くはならない。というのも湧き水が出るからである。

・米の収穫量の移り変わり

 戦前では1反当たり6俵。

 終戦前では1反当たり7俵。

  圃場整備前では1反当たり8俵。

 現在では上手な人手1反当たり10俵弱(ひよくもち)

・裏作について

 現在では麦のできない田はない。昔は地図に示している土地では水路より田が低い位置にあるため麦作ができなかった(地図省略:入力者)

・米の質について

 山の米は潟の米に比べて収穫量は少ないが質はよい。

・農業規模について

 楢田は13反、米麦が中心である。米どころとしては池の上である。生産組合別の順位は下記のとおり(大和町)

 1 池の上

 2 楢田

 3 久留間

 

 現在楢田で農業をしている人は28人で、農業専業の人は肉用の馬を生産している人、一人だけである。また、塩土井では現在は民家は2軒だけになっている。伸幸さんもサラリーマンで電力調整のためウィークデーに休みにすると通産省から補助金が出るということて、家にいて下さったそうである。

 楢田の集落は昔は「古屋敷」にあったが、水害のため現在の位置に集落が移っていった。

 最後にお話をしてくれた人によると、「趣味の百姓」だそうです。生産を考えるとやっていけないために、百姓を高級な趣味にしているようです。



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