【佐賀郡大和町大願寺、小隈地区】

現地調査レポート

1EC95101 谷口美穂

1EC95106 手芝史子

<大願寺>

 大願寺では昭和14年の旱魃で川上村から人を頼んで堤を2つ掘った。それが地図に示してある2つの堤である(地図省略、佐賀県立図書館所蔵)。また堀やゴミの所有は共有となっており、用水の管理は主に区長か生産組合長が行っている。さらに (地図省略)に示した真手古賀、平木の下の空白部分は、人によって呼び名が違うということである。

 この聞き取りの相手は、大願寺の区長さんである。手紙を出しておいた野田米男さんは若手といっても50代だが、もう農業に携わっておられなかったため、区長さんを紹介していただいた。

 

<小隈>

 小隈でも水利は共有で、その管理は主に区長さんや生産組合長さんが行っている。また、小隈では520日ぐらいから105日くらいの間に取り入れを行っている。

 小隈の地名で「搦」とは昔の海の堤防のことだそうである。手紙を出しておいた高園の和弘さんは、野田米男さんと同じく、農業に携わっておられず搦の場所とその意味について教えて下さった。

 

<感想>

 大願寺、小隈の2つの部落を回って感じたことは、しこ名は農業をしている人だけが使っているものである、ということである。また、どちらかといえば、若手の方ほど知らないという感じを受けた。このようにしてしこ名は少しずつ忘れ去られていっているような気がした。また、田んぼを木材製材所や施設などに売ったために、そこのしこ名が失われていくような例もある。

 それと、部落が違えば同じしこ名はありうるということが分かった。村の東にある田んぼは大願寺、小隈ともに「村東」というのである。また、大願寺で堤の下にある田んぼは「堤下」というように、しこ名は本当にその地域の人々が呼びやすいように、地域に浸透しやすいようにつけられているのだということが分かった。佐賀の地方の特色が分かったと思う。



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