【佐賀郡大和町川上地区】

歴史と異文化理解Aレポート

1EC95260 西裕季利

お話を伺った方

 笠原実さん(昭和4年生)

教わったしこ名

 横道 よこみち

 天神 てんじん

 清水 しょうず

 園田 そのだ

 一本橋 いっぽんばし

 北原 きたばる

 若林 わかばやし

 下宿 しもしゅく

 中宿 なかんじゅく

 上宿 かみしゅく

 貝曲 きゃあまがい

 六反田 ろくたんだ

 馬場 ばば

 宮原 みやはら

 西山 にしやま

 星熊 ほしんくま

 権現谷 ごんげんだに

 倉小路 くらしゅうじ

  計18

水利慣行について

・一昨年の水不足の時は近くにある三つの堤(=溜池)の水が少なくなったため、近くを流れる嘉瀬川からポンプで水を引き上げて田へと流したそうだ。そのため水不足は乗り切れたそうだ。

・昭和14年は大干魃で全く作物がとれなかったそうだ。昔はポンプがなかったため、上記のような川から水を引き上げることができなかったため、水がなかったから。当時小学生だった笠原さんは「雨乞い音頭」をおどっていたそうだ。

・上記からも分かると思うが、川上地区では三つの堤と嘉瀬川の水を利用している。

 

川上(笠原さん宅)

<村の移り変わり>

・嘉瀬川の下流に成富兵庫茂安が作った石井樋という水門のようなものがあった。川上地区では頭首工と呼ばれる水門ができて水害や水不足がなくなったそうだ。

・嘉瀬川に堤防ができてしまったため、河原がなくなったそうだ。また広場がコンクリートに変わったそうだ。

 

<今後の日本の農業について>

・まず第一に後継者不足を指摘された。やはり、3Kの仕事として若者は農業をしたがらないそうだ。

・次に重要な琴としてやはり輸入自由化のことを挙げられた。輸入品は大量生産されているし、基本的な労働賃金の差もあって価格が安い。価格の問題は深刻だそうだ。作物を作っても採算がとれないそうだ。そのため作物が限定される。またミカン栽培は減反だそうだ。

・対策としては耕作の広さが違う分、頭脳と資本と労働力の集約された農業をすること、あとやはり政治とmuchして保護策を作って守って欲しいとのことだった。そして今度は兼業農家が残っていくだろうとおっしゃっていた。

 

<感想>

 まず、田のしこ名を残すことはやはり大事だと感じた。笠原さんの息子さんたちはもう分からなくなっている。今聞いておいてよかった。日頃話す機会のない方々と未知のことを話せたことはとても有意義で楽しかった。笠原さんはとても優しい方でたいへん助かった。



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