【佐賀郡大和町今古賀、久留間地区】 現地調査レポート(1)35班 943183 山本圭吾 L1-12 943156三重野直美 辻上、徳田 聞き取りした方のお名前 今古賀 田中芳美さん(57歳) 石井勇さん(70歳くらい) 大家接雄さん(74歳) 久留間 池田いきちさん(76歳) のぶいちさん 圃場整備以前の行政区画は、皆うろ覚えのようで記憶の糸をたどりながらという感じであった。 今古賀は約20件程度の比較的小さな部落で、昔から住んでいる方たちばかりだったので、すぐに地図を埋め尽くせるかと思ったら、そんなに甘くはなかった。圃場整備の際、委員長を務めたという石井さん(70歳)でさえ全てのしこ名は知らなかった。 聞き取りしたお三方とも地図に書き込んでいるだけのしこ名は覚えがあるらしかったが、これ以上は分からないとのこと。だいたい田ん中各々ではなく、幾つかのまとまりで何々角と呼んでいたようである。 現地調査レポート(2)まず、生産組合長の田中芳美さん(56歳)を訪ねた。以前、この一帯は川上村といっていて、今古賀はその中から出てきたものだそうだ。今古賀と他の地区との境目は、山王川と今江川で、今江川は今古賀と江熊を分ける川だったので、そう名付けられたそうだが、昔はどんどん川と呼ばれていてその横の田が「どんどん」であるのもそこから由来している。 大体名付けられ方はそんな感じで、学校(寺子屋みたいなもの)があったから学校畑、今は墓だがもとは寺があったので、その前に位置している田は「寺前」など。 かなり年配の方に聞いてみたが、全部は覚えていらっしゃらないようで、いくつかにとどまった。しかし、大体このあたりはしこ名というよりも、〜角というふうに広い範囲で呼んでいたようだ。 昔と今とでは今古賀の範囲も変わっているらしく、今の八幡のところにも、もと今古賀の田が存在していた。 田んぼの外にも山王川の西にあった水路にもしこ名があって「よだれ水路」と言っていたそうだ。 大家接雄さん(74歳)には圃場整備時か前かよく分からなかいが、登記簿を見せて頂いたが、何角がどの辺りか少し分かっただけだった。最後に圃場整備の委員長さんだったという石井勇さんにもあたってみたが、その後の地図を見て頂いただけで、しこ名の方はこれ以上のぞめなかった。 現地調査レポート(3)聞き取りした方のお名前 池田伊吉さん(76歳) 古川さん 女性(?歳) 外数名 久留間 区長さん(?) 西田さん 女性 (?) 信一さん 男性 (?) 調査した村 今古賀、久留間 今古賀地域の二の割、九の割、十の割以外はだいたいそのあたりの呼び名である。 山王地域ははじめ、西田さん、古川さん外1名の方に聞いてみたが、しこ名を知らないといい、西田さん(かなり年配の方)が山王にはしこ名がなく、もっと南に行けばしこ名はあると教えてくれたので、久留間地区を調査することに決定しました。 久留間地区では区長さんの紹介により、池田さんから主に話を聞く。 久留間地区の範囲は北は五本松、一本松、二本杉で、北東の五本杉は3つの部落に分けられている。南は地図の更に南がこのようになっており、ここまでが範囲である(地図省略:入力者)。 下田の辺りは部落外の人はすいまちと呼ぶ。 五本松のすぐ左は地図には印刷されていなかったが、三本杉という。 五本松の南の辺りは裏〜(〜は部落名)と呼ぶ。 松と杉では杉の方が上質の田である。 以上のような話を聞くことが出来た。場所は分からないが、ハッタダ、カノミチというしこ名も教えてもらった。 |