【佐賀市郡大和町池上地区】

現地調査レポート

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俊長、正崎(2)

源流は北山ダム→嘉瀬川→惣座の頭首口

池上の収穫量

 20年前……78/

 現在 ……89/

  *あまり変わっていない。

・池上は低地であり、整備される前は北から水が流れてきて、水浸しになっていた。

・昔は麦は作れなかった。

・整備後は麦が作れるようになった。

・上田、中田、下田の区別はあまりない。

・牟田川をはさみ池上の西にある楢田には、上田、中田、下田の差があったらしい。

・昭和53年渇水のときは、嘉瀬川=電気ポンプ→池上と水を引いていた。

 

東平川、山王川、西平川及び堤防の地図。(地図省略:入力者)

 

感想

初めは地道に一軒ずつ回って聞いていたが、途中で池上に詳しい人たちが集まって、僕たちが来るのを待っていてくれたのを知り、そこでいろいろなことを聞くことができた。とても親切な人たちだった。

 条里の調査だけでなく、四天王の像について地元の人に聞いてみたが、かなり昔からあるということしか分からなかった。八竜大明神の神社には天井にたくさんの絵がかいてあり、神秘的だった。

 牟田というしこ名の田は、昔、佐賀城の殿様がカモの猟場としていたために土地が低く、すぐに水がたまってしまうということだった。また、切出というしこ名の田は、昔、侍の通り道だったために、そう呼ばれていたと聞いた。その他、圃場整備以前の話をたくさん聞くことができ、大変勉強になった。

 *雨が少ないときは東芦刈水道から水をとっていたという事、その方法等。

 この調査に当たって大変親切に力を貸してくれた地元の人たちに感謝しています。大変よい経験になりました。



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