【佐賀郡大和町東山田、立石地区】 1EC95085 仙崎真弓 1EC95079 庄籠香織 佐賀市大和町東山田における現地調査の報告私たちは永渕良治さんを訪ねる予定だったが、永渕さんが不在のため、他の人を紹介してもらった。紹介してもらった人は、馬場崎馨さんといい、昭和3年生まれの人である。 聞き取りは一人が質問をし、あとの一人が教えてもらったことを書き取った。 しこ名について聞いたとき、やはり最初は「そんなものはない」と言われた。教わったしこ名とその位置について調べたことをこれから書くことにする。 ・水田にかかる水はどこから引水されているのか。 A 東山田地区の当方にある、南北に流れる右岸水路。 ・その水路は単独の水利なのか、他村と共有なのか。 A 他村と共有。 ・過去に水争いはあったのか。 A 特にない。 ・(訪ねた村がアオ(淡水)によっている村だったので)クリークに貯水するのは何月から何月までか。 A 6月〜10月 ・どの日に? A 30日に一度 ・何時間ぐらい? A 12時間。 ・どこから? A 右岸水路 ・何人くらいでか。 A 20人くらいで。 ・井樋番の手当はどこから、どれくらい出たのか。 A 部落が負担。米など。 ・ゴミとりについて A 1年に1回右岸水路をきれいにする。半日かかる。部落50〜60人で、4月にスコップでとる。 ・ゴミの所有権は? A 特にない。自由にとって行くらしい。 ・1994年、つまり去年は未曾有の年であったが、去年特別にやった水対策にはどのようなものがあったか。 A 東山田地区は右岸水路が近くにあり、利用できるので特になし。時間給水はあった。 村の範囲(道、水路などについては地図に記す。地図は佐賀県立図書館所蔵) ・村の入会山はどこにあったか。 A 特になし。主に山は個人が所有。 村の耕地 ・特に米がよくとれるようなところ、逆にあまりとれない田ん中があったのか。 A 四本松・三本・四本は良田で裏作もできる。川上、下戸田九は悪田で水害常習。 ・戦前にはどのような肥料を使っていたか。 A 堆肥。 その他 ・1a当たり1,100円の権利金(水代)を土地改良に払っていないと水路を利用できない。 ・山の方は溜池の方に水代を払う。 ・田ん中の地下40cmにコルゲート管が通っており、それぞれ排水する。 ・圃場整備によって機械化が進み楽にはなったが、お金がかかる。個人は10町くらい持っていないときついらしい。そのため兼業農家が大幅に増加。 佐賀市大和町立石における現地調査の報告私たちは立石にお住まいの大正4年生まれでいらっしゃる末次善太郎さんにお話を伺った。 末次さんによると、昭和57年に整備されて以来、堀はもうあまりないそうである。末次さんは「今は整備されたから……」ということを何度も繰り返していらっしゃり寂しそうだった。 それでは1月20日に尋ねた内容と質問を次に示す。 ・昔は水を介しての村同志の対立はあったか。 A あった。6〜18時……西(左岸)の人が水を使用。18時〜6時両岸の人が水を使用。 ・クリークは村で管理していたのか。 A yes. ・クリークに貯水するのは何月から何月までか。 A 3月〜8月まで(水田に水を引くときだけ)。自然にたまる。 ・井樋番は何人がどれ位の時間していたのか。 A 2人が12時間位。今はないそうである。 ・ゴミとりはいつ行い、とったゴミはどうしたのか。 A ゴミとりは主催が違って計年に2回。 8月……生産組合。 4(3)月……部落(村)。 ゴミの所有権は特になく、とった人が自分の田の肥料とした。Cf.今はそれぞれの良心に任せ、それぞれが水路の掃除をする。しかしうまくなされていない。 ・昨年、一昨年の旱魃時の対処は。 A 当番制にした。 Cf.ダムが10年後に完成予定。 ・村の入会山はあったか。 A おそらくない。個人持ちだろう。 Cf.入会の畑、田はあったが、相続問題で今は消えつつある。 ・昔と今、肥料は変わってきたか。 A yes. 戦前……大豆をつめこむ。草を入れる。クリークのゴミ。 今……化学肥料。 |