【佐賀郡大和町広坂、有木、井手原】

歴史の認識 現地調査レポート

1EC95015 泉 匡亮

    1EC95051 河野 大士

 

 

 

しこ名

 宇土口 阿みだだに、山田、くのじ

 田尻、八ツ枝、原(ハル)、吉田口

 北戸口、屋振畑、吉田、小振口

※地図が小さく、これらの田ん中の正確な位置は分からないということであった。

 

・水利のあり方

山の水だけですべてを賄っているということであった。 1994年も山の水だけですべてを賄い、特別な水対策は何もしなかったということであった。

 

・何を作っているか

米、みかん、干し柿などを作っており、裏作はしないということであった。

 

・村の耕地

宇土口、くのじが特に良い田ん中で戦前反当8俵、悪い田ん中では反当6俵ほどであったということだった。

肥料は戦前は牛糞、草、人糞(畑へ)であったが、化学肥料へ変わったということだった。

 

・今後の日本の農業

兼業農家がほとんどで、皆田ん中や畑を人に預けていき、大規模農家が増えるのではないかということであった。しかし、広坂では未整備の田ん中が多く、預かってくれる農家がなかなかいないということだった。

現在、山田の方では、イノシシが悩みの種だということだった。イノシシが田ん中や畑を荒らすので、イノシシ退治をしているということだった。



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