【佐賀郡大和町平田、佐保地区】

現地調査レポート

1996115()

L,1-11 1EC95080 勝力智子

1EC95092 田崎恭子

大和町平田村

・水利と慣行

 嘉瀬川の上流から名護屋橋を流れ平野、東山田、平田の各田ん中に流れてくる。平田の田ん中には昔はよく(地図省略:入力者)に書き込んだ土手辺(どてべた)から入って来ることが多かったが、今は流れていないことが多いため、現在は地図中に緑色で示したように堰をつくって他の部落に流れ込まないようにしている(地図省略、佐賀県立図書館所蔵)。そして平田の田ん中に水を引いている。その後嘉瀬川に流している。

 平田、東山田、平野の中で一番下にある平田は水利権が弱いため、いろいろな取り決めの際に、不利になることが多い。水利の共有はないので、水が十分にあるときは、常に流れてくるため、困ることはなかった。でも旱魃のときにはきちんとした取り決めがなされて、大変な苦労があったそうだ。

 

1994年の旱魃

 東山田には夜間12時間、平野には4日に3日昼間12時間(6:00から18:00)、平田には4日に1度だけ昼間12時間という取り決めがなされた。当然のことながら全く水が足りないので、平田では水の流れない4日のうち3日館地下水を5箇所にあるポンプで汲み上げて利用していた。

 その3日館も時間給で今日はたかはた線、今日はじょうどころ線、今日はまわたり線に流しますといった感じで十分にあるというわけではなかった。でも農業用水とは違って飲料水は昭和38年頃にできた共同井戸があったため困ることはなかった。それでもやはり収穫高にはかなりの影響が出てしまったそうだ。

 

・村の範囲、道、水路、堀の境界

 地図に示したとおり、南は嘉瀬川、西は鯰川を境に平田村がある。昔は現在の平田村の位置よりもっと南西の方向に村が存在していたが、昭和20年に50m24年に600mくらいの堤防が切れて、だんだん今の平田村の位置に移っていった。とにかく昔から水害を受けやすく、多くの人が死亡したり行方不明になったりしているそうだ。

 

・裏作

 平田村には特に米がとれる、とれないといった田はない。裏作もできない田はない。主にというかほとんどが麦で、他にはハウスで菊やイチゴを栽培している。でも輸入した方がものすごく安く、生産コストもかかるため採算がとれず、30haあるうちの7割くらい作っている。

・村の姿の変わり方、日本の農業への展望

 この質問をしたとき苦笑いをされて「展望はもうなかっちゃなか?」とおっしゃっていました。日本農業の危機を改めて悟らされたような気がしました。なぜかというのは平田村には現在専業農家が2人しかおられず、他の方は出稼ぎをしながらという兼業農家で、60人くらいの人数で30haを経営しているのに対し、アメリカでは1人で30ha以上の土地で作っている。

 また平田村では村以外の人に耕作してもらうため水路や道路などの基盤作りのための負担金すら賄えない状態にある。また高い機械代のせいもあってかなりの損である。後継者がいないため、もう今の世代で終わりではないかとおっしゃっていた。

 

お話を聞かせていただいた人の生年月日

     昭和11年生まれ 大財森一(おおたから もりかず)さん

     生産組合長 村岡保雄さん

 

佐保村

村の概略

 地図中の天満宮が右の文章(『日本歴史地名体系 平凡社「佐保村」』、省略)にある兵動八幡宮である。実際に行ってみたが、鳥居と社殿と像がある小さなものだった。大和町には一つの村には必ずといっていいほど、1つか2つぐらいの天満宮や神社がある。話を聞いた古老の人は「自分の親や祖父母の時代の人はそういうものをとても大切にしていて、村に必ず1つはなければならないと言い聞かされていた」とおっしゃっていた。

 

日本の農業への展望

 農業の機械化や農業をめぐる厳しい現状の中、出稼ぎ労働をする農家が増え、ほとんどが兼業農家となっている。農業肥料も値上がりする一方で、収入にもかなり影響を与えられている。よって後継者が不足しているのが実情で、見通しは暗いと言わざるを得ない。

 

お話を聞かせていただいた人の生年月日

     岡富治男さん(佐保地区生産組合長 岡龍郎さんまお父様)

大正10年生まれ 75



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