【佐賀郡大和町江熊野、山王、今山地区】

歴史と異文化理解A現地調査レポート

1MD96034 神尾明君

1MD96037 北浦良樹

担当地域

江熊野、山王、今山

 

江熊野

 僕たち二人が最初にやってきたのはこの部落だ。3つの中で1番近いとはいえ、バスで下ろされた地点からはかなり離れた所だった。到着した時にはちょうど昼時で、人がほとんど見られなかった。そこで、僕たちも昼食をとることにした。

 昼食の後、あたりを探索に出たが、ほとんど人が、というより全くいなかった。民家を訪ねてみても留守ばっかり。後で聞いた話ではそのときは丁度農繁期で、あまり人がいなかったらしい。それでも何とかして歩いている人を捕まえてみたが、何の情報も得られなかった。

 小一時間ほど辺りをうろついていて得られた言葉は、‘ボウギ’‘ドドン川’‘デンボイ’‘ドンコ橋’の4つ。そのうちできちんと場所を把握できたのは‘デンボイ’だけだった (地図の@ 地図省略、佐賀県立図書館所蔵)

 それだけではつまらないので、煙草屋の野田さんを訪ねたが、(村の古老格の西田さんは留守だった)彼女は出かけるところで、話をきけなかった。こうして江熊野での調査を終えた。

 

山王

 酒屋に入って「この辺りの田の昔の呼び名に詳しいお年寄りはいらっしゃいませんか?」と聞いたところ、「この辺りは長生きしている人がいないので、若い人しかいないんですよ」と言われ、調査を断念。

 

今山

ある農家でしこ名を知っていそうな人を尋ねたところ、老人会長の兵藤さんが知っているはずだと言われ、その家(地図のA 地図省略)を訪ねた。しかし、ここでも農繁期で家にいないと言われ、畑を探しても誰も見当たらなかった。結局しこ名を集めることができないまま、バスの時間が近づいてきたため、帰途についた。



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