【小城郡牛津町練ヶ里地区】

現地調査レポート

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943037 垣内康志

943053 久保 亮

943052 日下部謙二

・部落全体で60町。

・昔は1反でも約8俵とれた。今もだいたい同じ位。佐賀の方では地力はある方とのこと。

○昔は幅3尺道だった。

 昭和105尺道になった。このとき減らされた個人の土地多くがある。その個人には地代を払っていた。リアカーで通る位の道路。

 借用地代を払っていたが土地代そのものは払われなかった。10aにつき500円くらい。区費として。

○昭和36

 国土調査により道路が国有地になる。借用地代も払われなくなった。このとき屋敷の横50cm、堀の横30cmが国のものとなった。

○昭和37,38年北山ダム完成

○昭和48年町道を境にして練ヶ里南部の圃場整備開始。

 昭和49年町道を境にして練ヶ里北部の圃場整備開始。

 西芦刈用水が三角コンクリートで固められた。雑草のため北山ダムから一昼夜かけて届いていた水が数時間で届くようになった。

 昭和10年に削られた個人の土地で、昭和36年に国のものになった土地を当時の記録に基づき、約30年ぶりに個人に返した。削られる前の土地の100%のうち、返却後は平均97.5%にまで回復された。

 

圃場整備の影響

(欠点)

1 地力が落ちた。だが、技術の進歩で昔と同量の収穫がある訳だが……。

2 水が安全供給される反面、いつも水量が少ない。

3 工事費の負担

 

1について

 入会権のように、堀の泥土は肥料として個人の権利があった。(当時)。但し、その堀の管理も分担であった。4年に1度浚渫した。浚渫費用がもちろん必要とされた。

 青年の共同作業で浚渫は行われた。その堀の管理権、つまり泥土を取得できる権利は堀の真横の土地(田地)とセットであった。だから堀のない田地は肥料がとれない(=地力が乏しい)ため、地価も必然として安かった。よって地力がおちたのは、圃場整備の堀埋め立てによるものである。

 但し、堀の中でも屋敷堀はほとんど残された。というのも宅地は整備の対象ではないから。そして、一部の堀が直線状にやはり整備されて残された。だが、その幅、深さ共に昔の半分くらいに狭められている。

 

2について

 堀が非常に多く、部落を取り囲んでいたため、昔は水量が非常に豊富であった。整備より水量は減ったが、水は安定供給されている。昔は干ばつになると、水引を行った。水引とは部落毎に1つの井樋(いび。水の取り入れ口)から時間を決めて平等に水を取り入れることである。

 どこかの部落が違反するようなことがないように水番も設けられ、交代で見張りをした。この水引もダムの安定供給により最近はしなくなったが、今年は梅雨に雨が降らないので水引をすることになりそうだ、とのことであった。

 

3について

 圃場整備の負担金の支払いが終わるまであと7年かかる。利子の分も入れると費用は1.5倍以上はかかっている。しかもこれに加えて機械を(共同で)買う金もばかにならない。

それにプラスして農業不況だ。部落には40歳以下の専業農家はいない。後継者問題もある。

 

(長所)

1 安定した水の供給。

2 道路の幅が広がり交通がよくなった。

3 田に大型機械が入り、効率が上がった。

4 元々練ヶ里部落が約60町あり、一戸平均で一町七反を所有していた。

 その土地は部落内のあちらこちらに狭い田が点々と散在していた。それが多い人でも三箇所以下にまとめられた。つまり、田一枚が広くなった。

(その他)

・機械を買う金などは頼母子講で。

・昭和20年代まで部落内60町に加え、周囲の田地15町の出作を行っていた。

・昔は部落の内では地力もあり、水にも恵まれて裕福な方であった。そのためか(農業経営に)危機感もなく、今の不振があると明石さんはおっしゃった。よく言えば、練ヶ里の人は純朴であるともおっしゃっていた。

・水の取り入れ口は三寸口の一箇所のみ。(用水として)但し、雨水は生立ヶ里からも流れ込む。ここの水の取り入れ口の土地の権利もあるが、干ばつの時には水は入ってこない。

・圃場整備のとき、、柿樋瀬の「飛び地」(用水を挟んでの)であった柿六角、字柳五角、字柿一角(3つで約3)は、練ヶ里へ引き渡された。

・昔はすき馬を使っていた。

 

感想

 皆さん親切で非常に協力してくださった。「純粋」とおっしゃったのがその風土的性格を肌で感じ取ることのできたような気がした。是非お礼の葉書を出したい。

 

協力者

    明石春次さん(75)

 区長 樋渡喜久麿さん(60)

    古賀満良さん(64)

 明石さんは圃場整備当時の区長さんで、このレポートのほとんどをお話し下さった。土地の整理をめぐり、様々な苦労を丁寧に詳しくお話下さった。区長さん宅では弁当を部屋でいただくことができた。古賀さん宅では巨峰をたくさんいただいた。今日が最後の出荷日だったとのこと。



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