【小城郡牛津町勝、高柳地区】

現地調査レポート

L1-10 94304北林良弘

L1-10 943057 黒木 亮

L1-11 943117 中島文博

勝地区

 この地区の調査において約4,5人にしこ名を尋ねた。最初、この質問をしてみて、相手側の反応は殆ど同じだった。「何のことだろう?」と首を傾げ、「田んぼの呼び名です。」と言うと、「どうしてそんなもの調べるの?」といった具合にして殆どの質問は始まった。しかし、質問には皆快く答えてもらい、とても協力的だった。その中でも下村はる男さん(72)からは多くの興味深い話を聞き出すことが出来たので、それを次にまとめておく。

 

用水について

 この勝地区一帯(南の練ヶ里まで)は現在北山ダムの水を利用しているため、どこの地区にも安定して一定の水が供給されているそうであるが、昔(圃場整備前)以前は違ったらしい。北山ダムから供給される前、この勝地区はイワクラ(岩倉)谷からくる水を北郷水利を利用して供給していたという。それで今年のように水の量が少ない年は、水争いが起こり、こまめに水管理を行った者、といっても今のような取水口がきちんとしていないため、他人の水を堰き止め、自分の方へ引き入れるといった行為をした者だけが収穫できたそうである。これはこの辺り一帯どこでも見られたことだそうである。

 

圃場整備以前の場所による収穫の差

 これは確かにあったそうである。地籍図にあるような湿地帯など、土地条件はかなり収穫の差に関係したという。しかし、それだけではなく、水管理がしっかりなされた(昔は今のように誰でも均等に水がくるわけではなかった)土地の収穫高はよかったそうである。

 下村さん曰く「怠惰な農民はその分貧しかった」そうである。

 

その他

 均の梅雨は約1/3程度の降水量しか降っていない。そのため私たちが下村さん宅を訪れたとき、ちょうど下村さんは分水の計画を練っている最中だった。下村さんの話によると、今年の北山ダムの降水量は例年の63%だという。北山ダムからは毎日2%の水がこの辺り一帯に供給されているようである。そういった話から下村さんの奥さんが次のような話をしてくださった。

 昔今年以上のひどい干ばつのとき、牛津江川が殆ど干上がってしまった。それで残った川の水を一ヶ所に集め、それを田まで汲み上げて米を育てた。

昔は水の管理が本当に大変だったようだ。

 

高柳地区

 勝地区の下村さんの紹介で鹿常男さん(71)を訪ね、高柳地区を潤す3つのポンプの位置等も教えて頂いた。

 この時点で地籍図はほぼ完成したのであるが、より完全に仕上げるため、近くの教育委員(ママ)に立ち寄り、この地区のしこ名に詳しい方を数人紹介して頂いた。

 これらの結果できあがった地籍図にも不十分な点、しこ名が不明な点はある(ママ)。しかし、これは地区住民がよその土地の田を耕作したり、その逆もあるので、そのせいだろうとおっしゃった。

 

 この調査を通じて、しこ名のことや昔の農村の現状、そして現在の状況など様々なことで勉強になった。そしてまた、今回の調査で様々な人々の協力を得て、農村の人々の温かみを感じることが出来た。

 最後にこの調査に協力して頂いた方のお名前を書き留める。

 下村はるおさん(72)

 鹿常男さん(71)

 鹿そう太郎さん(71)

 羽島千代さん(69)

 野田キヌ子さん(53)



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