【小城郡牛津町上江良地区】 現地調査レポート 15班 943088 陶山敏剛 943067 五所賢一 943055 栗林順一 943064 小柳秀征 お話を伺った方 山口政夫氏(73歳) 田ん中のしこ名ももう幾十年と使われていないため、はっきりとしたことは伺うことはできませんでした。しかし、我々4人が突然おしかけたにもかかわらず、終始笑顔で対応してくれたことに我々は感動しました。そして、山口さんは次に生産組合長さん宅を紹介してくれましたが、こちらも覚えていないということで、お話を伺うことができませんでした。 そこで次にお尋ねしたのが田中勇さんという方で、圃場整備の時の委員長をなさっていたそうです。 お話を伺った方 田中勇氏(80歳) 田中さんの御協力のおかげで調査がたいへん捗ったことに我々は大変喜ぶと共に、田中さんにとても感謝しました。田中さんのお宅は十六角ということを付け加えておきます。 @ 圃場整備以前の旧水田、その他のしこ名 田中さんの御陰で田ん中のみならず、道や川、そして堀のしこ名まで判明したのはとてもうれしかったです。この名前は別紙を参照下さい。(別紙地図省略、佐賀県立図書館所蔵) A 村の範囲 上籠で一つの村だったそうです。つまり、上籠=上江良で、ついでに言うと下籠=下江良ということです。これは登記台帳に載っているそうです。 B 圃場整備以前の各水田の水かかり、水利慣行 ・ 用水は北山ダムから川上(かわかみ)水路を通して水を引いたそうです。これは現在と少しも変わっていないそうです。 ・ また、昔から水利権というものがあったようです。 ・ 今は自然流水で、北山ダムから水が流れていますが、昔はハズトイといって、水をもらうためにスイリクウンエイに連絡して、水をもらっていたそうです。そして水を盗まれないように堰き止める所へ、村の者たちが弁当もって見張りをしていたそうです。これは北山ダムの水路が完成(s40〜?)するまで続いていたそうです。 C圃場整備以前の田には、上田、中田、下田はあったそうです。そして、上田では7〜8俵、下田では6〜7俵(反当収量)です。下田では排水が悪いため、麦はほとんどとれなかったそうです。 圃場整備後は排水工事等が行われ、上田も下田も変わらなくなったようです。むしろ、上田と下田が入れ替わることもあったそうです。というのは、高い所の土を低い所に埋めたので、低い所の土地が良くなるという現象が起こったためです。 Dその他 水は北山ダムから流れてくる途中、オテヤナギという部落を通るため、いろいろ問題があったようです。また、今年のように旱魃などがあると、水を守るため、村中の男も女は川上まで一日中水の番をしていたそうです。 感想 暑い中、我々の調査に積極的に手助けしてくれる人が多いということを我々は驚きと共に感謝しました。 また、地名というものは人々の口から出たものが生きた言葉として人々の間に親しまれていった愛称ではないかなあと感じました。久しぶりに人々の温かさを感じました。 |