【小城郡牛津町江津ヶ里地区】 歴史と異文化理解A現地調査レポート 70班 L1-13 943224 岡田昌明 L1-13 943229 門田一隆 L1-13 943228 下 秀幸 調査した村 牛津町江津ヶ里 聞き取りした相手 一人目 池田正徳さん(64歳)区長 二人目 大屋正見さん(69歳)農家 @しこ名……プリント23参照。(プリント省略、佐賀県立図書館所蔵) A道のしこ名 村中みち(大戸ヶ里まで行く道のこと) B江津ヶ里は二つの村が合わさってできたそうだ。これにまつわる伝説を次のように話して下さった。江戸時代初期に陣ノ内の殿様がいて、天草四郎と今山の合戦で戦ったそうだ(ママ)。また鹿坪(しかつぼ)にも殿様がいて、内堀を作っていたそうだ。(話し手:大屋正見さん) C用水路 昔も今も同じ所から引いているそうだ。昔は流れ川から引いていたが、川の氾濫による被害を防ぐため、鍋島の殿様に影響力をもっていた円長寺9代目和尚むくりんが作った円長寺井樋(堰だと思う)から現在引いている。 D水争い 昔、大字勝(かつ)の池の水をめぐって口先だけの喧嘩はあったそうだが、圃場整備後、江津ヶ里の田がよその土地にまたがっているということもあって、水争いは全くなく、現在では、江津ヶ里、おとがい(入力者注:大戸ヶ里)、えみつえ(入力者注:前満江)の三つの村に水利権があり、小城の一部もここから引いているそうだ。 E田の質 昔は上田、下田等の区別があったそうだが、圃場整備後は、どの田も平均して、区別がないそうだ。 F反当たりの収穫 1反当たり5,6俵で、6俵とれればよかとこだそうだ。 G裏作について 裏作(麦作)はどこでもやっているそうだ。また、減反で田植えをしない田では大豆を作るそうだ。 以上。 |