【三養基郡上峰村寺家二地区】 歴史と異文化理解Aレポート 1AG95059■ 大部梓美 1AG95058■ 大畑幸代 聞き取りの方法 まず鶴田新さん宅を訪ねた。新さんは昔の地図を出して下さって、田んぼのしこ名について教えて下さった。ほりのしこ名について質問すると、ご近所の鶴田三次さんの家に連れて行って下さった。それからこの二人の方にお話しを聞かせてもらった。 内容 田んぼのしこ名について 足洗(あしあらい) 荒巻(あらまき) 五本杉(ごほんすぎ) おりやなぎ 高筒(たかつつ) 修理手(しゅっで) 内八戸(うちわっと) 姥井鶴(おばいづる) 南ごんた ほりのしこ名 どいべた なかみぞ 井柳川、六地蔵川、勘太郎川 橋のしこ名 井柳橋 新井樋橋 野間口橋 かんのじゅう橋 かしらはし 井樋のしこ名 宮いで 村の水利のありかた ・寺家一、寺家二、下米多で共有。公民館はこの三つ+井柳で共有。 ・主に井柳川と勘太郎川の水を利用していた。 ・井柳川について 北側の「宮いで」は井柳の方へ、南側の井樋からは寺家地区の方へ引かれる。 (別紙井樋スケッチあり。省略:入力者) 井柳川(上流を田手川という)の水は三田川の豆田と水争いがあった。 ・勘太郎川について 水が不足したときに勘太郎川に頼る。 ・アオから水を引くことについて 月に2回、十五夜の満潮の時。 3時間〜4時間 5月〜10月。 土地改良役員の責任において行う。 寺家一、寺家二、下米多から2人ずつの6人。任期あり。 ・3つのかん水機 北から、たばたかん水機、のばたかん水機。この2つが主。下米多かん水機。 手当は田ん中で割ってみんなで集めた。多く使う人は多く、少しだけ使う人は少なく。非農家からは集めない。 ・ゴミとり(カンピョウを使う) ホリ、田ん中の持ち主。 ・去年の水不足、水不足対策 勘太郎川の水を引いて乗り切った(去年)。 井戸を掘ることもある。しかし、塩分が多く、掘っても使えないときがある。アオから引く水にも少し塩分が含まれる。 今は電気でかん水機を動かし、アオから水を引ける。30年前は石油発動機で水を引くことができた。何とか干ばつに耐えたようだ。 村の耕地 ほとんど乾田で、良い田が多く、湿田はほとんどない。 その他 悩みは後継者がいないこと。鶴田新さんの家では新さんの息子夫婦が農作業をされていたが、三次さん夫婦の後を継ぐ人はいないようで、お宅も新しく建てられたものだった。 寺家二地区は、ほとんどというか全部の家が兼業農家らしい。井柳に4,5軒専業農家があるみたいだけれど、昔はほとんどの家が田んぼの仕事だけで生活していたようだ。だんだん役場へ勤める人が増えて兼業農家になっていた。農業の内容としては、ほとんどが稲作だが、畑作としてタマネギ、アスパラガス、イチゴなどが栽培されていた。 お話しを伺った方 ・鶴田新(あらた)さん 大正15年(11月30日)生まれ 69才 ・鶴田三次(みつじ)さん 大正14年生まれ 70才 |