三養基郡上峰村寺家一地区】

レポート

 農学部127 大原寿美子

梶原 和泉

 

聞き取りの方法

 まず前もって手紙を出した寺家一地区の区長さんである鶴田忠夫さん(大正151月生まれ)のお宅をおじゃましました。鶴田さんは親切にも私たちのために、自分よりいろいろと詳しいという森永正信さん(大正151月生まれ)を連れて来て下さっていました。そこでお二人にお話しをうかがったところ、古賀常木さん(昭和25月生まれ)という方が鶴田さん宅に来られたので、結局3人の方と鶴田さん宅で雑談を交えながらお話しを伺うことが出来ました。田ん中などのしこ名はわざわざ鶴田さんが役場からとってきて用意してくださった小字名の記載された地図と私たちが持参した地図を見ながら教えて下さいました。

 

内容

田んぼのしこ名について

<小字名>

 五本杉              かんたろう

 荒巻                  みなみごんた、おりゅうやなぎ

 四本桜              みずまち

 修理手              きたごんた

 足洗                  あしあらい、ななまがり

 高筒                  東たかつ

 二本桜              西たかつ、こつか

 三本桜              なかみぞ

 一本榎木           でいばた

 内八戸              ろくんぞう、しょうやんやしき

内八戸と一本榎木、三本桜の間の川周辺    よこでい

 姥井鶴              のまんくち、よこしょうじ、ゆきたけ

 館                     じゅうしゃびょう、なかしま、おくんやしき、おおもりさん

 屋敷内              やしきうち

ほりのしこ名

 かしらんはし                 

おおぼい

 なかみぞのほい             

れんこん(はす)ぼい

 さんだんろくせのほい

橋のしこ名

 井柳川の橋

かんのじゅう橋

新井柳橋

のうしろ橋

ちゃーき橋

かわうち橋

井樋のしこ名

 しゅりでいび

 うちばっとのいび

 たかつのいび

 じぞうさんのいび

 いりゅうのいび

 さるたひこおおかみのいび

 まえんかわいび

 

村の水利のありかた

 水田にかかる水は、村の西側に位置する井柳川から引水されていて、溜池は利用していない。用水は独特の水利ではなく

 

・寺家一、寺家二、下米多で共有。公民館はこの三つ+井柳で共有。

・主に井柳川と勘太郎川の水を利用していた。

・井柳川について

 北側の「宮いで」は井柳の方へ、南側の井樋からは寺家地区の方へ引かれる。

(別紙井樋スケッチあり。省略:入力者)

井柳川(上流を田手川という)の水は三田川の豆田と水争いがあった。

・勘太郎川について

 水が不足したときに勘太郎川に頼る。

・アオから水を引くことについて

 月に2回、十五夜の満潮の時。

 3時間〜4時間

 5月〜10月。

 土地改良役員の責任において行う。

 寺家一、寺家二、下米多から2人ずつの6人。任期あり。

3つのかん水機

 北から、たばたかん水機、のばたかん水機。この2つが主。下米多かん水機。

 手当は田ん中で割ってみんなで集めた。多く使う人は多く、少しだけ使う人は少なく。非農家からは集めない。

・ゴミとり(カンピョウを使う)

 ホリ、田ん中の持ち主。

・去年の水不足、水不足対策

 勘太郎川の水を引いて乗り切った(去年)

 井戸を掘ることもある。しかし、塩分が多く、掘っても使えないときがある。アオから引く水にも少し塩分が含まれる。

 今は電気でかん水機を動かし、アオから水を引ける。30年前は石油発動機で水を引くことができた。何とか干ばつに耐えたようだ。

 

村の耕地

 ほとんど乾田で、良い田が多く、湿田はほとんどない。

 

その他

 悩みは後継者がいないこと。鶴田新さんの家では新さんの息子夫婦が農作業をされていたが、三次さん夫婦の後を継ぐ人はいないようで、お宅も新しく建てられたものだった。

  寺家二地区は、ほとんどというか全部の家が兼業農家らしい。井柳に4,5軒専業農家があるみたいだけれど、昔はほとんどの家が田んぼの仕事だけで生活していたようだ。だんだん役場へ勤める人が増えて兼業農家になっていた。農業の内容としては、ほとんどが稲作だが、畑作としてタマネギ、アスパラガス、イチゴなどが栽培されていた。

 

お話しを伺った方

・鶴田新(あらた)さん 大正15(1130)生まれ 69

・鶴田三次(みつじ)さん 大正14年生まれ 70

 

 



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