【三養基郡上峰村西前牟田地区】 歴史と異文化理解Aレポート S1-27 梶原美和 金出美砂 村の水利のあり方 ・水田にかかる水は勘太郎川(かんたろうがわ)から引水する。 ・勘太郎川からハッタダボリやイビドイに水を引いて利用した。 ・潮の満ち引きを利用してクリークに水を貯めて、そのクリークから水田に水を流す淡水灌漑に依っていた。 6月から10月まで、潮の満ちたとき(24時間に2度)勘太郎川から井樋番(だいたい一人)によって取り入れられた。昔の手当のことは分からないそうだ。 ・補水機(大補水機−川から堀に、小補水機−堀から水田に)を実際に見せてもらった。 ・用水は隣接する村と共同で利用していた。 ・昔からこの付近はかなり水が豊富で、いくら雨が降らなくても旱魃になることはないほどだった。だから水争いはなく、すべて話し合いで片づけられた。 非灌漑時期のゴミとり ・ゴミは堀に積もっている腐葉土でとてもよい肥料になる。現在の化学方法よりも有機物だし、とてもよい。 [方法] @田んぼにはまらないようにし縄で編んだものを引く。 Aカンビョウという道具でヘドロを3〜5m上げる。 B乾燥させて肥料にする。 雑談 @村の姿の変わり方 何もかも変わってしまったという感じ。 ・牛、馬を利用して耕す→農機具を利用して耕す。 ・戦前は蚕を飼っていた。戦後も乳牛を飼って副業としていた。 ・がんづめ機械を利用して草をとる。→今は除草剤を利用している。 ・昔は華族總動員で農作業をしていたが、現在は機械を村の人で共同で使っているので、時々家族に手伝ってもらう。 ・村で秋に祭りがある。収穫を祈っての祭り。近くの神社を順番にまわっていく。 農業の展望 今後農業には期待できない。 アメリカは広大な耕地面積で米を作るため、安いコストで米をつくることができるので、日本もアメリカ式の農業に大きく変わっていく必要があるのではないか。また少なくとも1丁ぐらいの田で米を作っていかねば(大規模にやっていかねば)専業でやっていくのは無理である。 ほとんど兼業でやっている。アメリカ式にするような若い後継者がいない。また、米と麦だけではやっていけない。副業(イチゴ、アスパラガスなど)でやっていくしかない。 ・サラリーマンとの所得の差が問題ではないか? 1反当たり15万円ぐらいの収入にしかならない。サラリーマンの所得になるためには、広い耕地が必要。 ・中間マージンが高いのではないか? 中間マージンを安くして安い米を消費者に提供することが、アメリカの安い米に対校する方法ではないか? ・反対に私たちに「農家に嫁にくることをどう思うか」と質問された。若い人が遠くへ働きに行き、後を継いでくれる人が少ないのは本当に深刻な問題であると思った。 ・昔は洪水があった。特に28年の大水害。今後洪水はないのではないか? お話しをして下さった方 石丸さん(大正6年生まれ) 鶴田初義さん(昭和9年生まれ) |