【三養基郡上峰村中村地区】 歴史と異文化Aレポート 小野賢一 柏木太一 佐賀の中村地区を訪れることになった僕ら二人は、まず指山和男さん宅に向かった。時間より少し早かったが、指山さんと、その友人お二方がしこ名について語ってくれた。 中村地区、また近辺で下記のしこ名を語ってくれた。 ・いちので ・はかはら ・うらいで ・釈迦めん ・賀茂田 ・きたのうら ・みやうら ・さださん山 ・てんじんさん ・てらぶん ・はったんだ ・のま ・かまぶ(べ) ・そいめ このうち「なかはら」とは、昔、お墓のあったところで、「てんじんさん」といのうはそこに氏神様が存在していたという。 去年(1994)の水不足の時期について尋ねてみると、六田川のおかげで水田の被害はなかったというが、日常水の給水制限はあったらしい。もし、現在、昔利用していた切通川の水を利用していたら、水不足の被害はまぬかれなかっただろうと言うことだった。 現在中村地区には、悪い田というものは存在しないらしく、だいたい9俵は毎年とれるということだ。戦前は5〜6俵位しかとれなかったらしい。というのも今と違って、農薬が存在しないため、害虫の被害が多く、化学肥料のかわりに大豆油のかすや魚かすを肥料として使用していたかららしい。 中村地区は昭和48年に結成された機械利用組合に加わっており、第二利用組合の第三作業班に位置しているらしいということだ。 排水は圃場整備の排水場に捨てられるらしいが、昔は水路に垂れ流しされており、屎尿などはくみ取って田畑で利用しているということだ。現在畑は自家用の物をつくるだけで後は利用していないらしい。 中村地区の畑は200%利用ということで、表作、裏作ができるらしく、できない田いうものは存在しないらしい。 指山さんの紹介で、2,3軒まわってみたが、外にしこ名を知っていらっしゃる方が見つからず、最後に室田晴次さん宅を訪ずれたところ、ちょうど田の方へ仕事に行っていらっしゃるというので訪ねると、下記のしこ名を語ってくれた。 ・いっちょんさん ・しのかく ・べざいてん ・こひこ ・いかり ・じゅうのわ ・さださん山 それ以上は覚えていないということだった。 最後に、尋ねた方々に今後の農業についてきいてみたところ、「だんだん廃れていく」ということだった。というのも、なかなか後継者が見つからないらしい。 今回佐賀を訪問したことでお年寄りの方とのふれあいを図ることが出来、しこ名を知っている者がいなくなることがなくなることをうれしく感じる。最初はイヤイヤながらというふうであったが、最後にはすがすがしい気分で福岡に帰ってくることができて、ほっとした心境だ。いつか僕らも伝統を伝えていく日がくると思うが、今回お世話になった方々を参考にしていきたいと思う。 |