三養基郡上峰村九丁分地区】

レポート

班員 中村 綾

 

 

1 九丁分地名(しこ名)について *番号は地図参照 (地図省略:入力者)

@ベンジャサン 弁社山

 三本松、北部の小高い山地。お宮の跡地名。享和元年(1801)では弁天であったが、明治維新時に厳島神社となり、明治末期に西島八幡神社境内の小字神社に合祀された。

Aジュウノワリ 十の割

 四本松北部。弁社山井樋より入った水が中村へ流れ出る地方を言う。

Bマゴンジュウ 孫十

 四本松北西部。中村と接する地方。孫十さん所有の田であった。

Cニノカク 二ノ角

 四本松北部を西へ100m位の地方。

Dゴノツボ 五ノ坪

 三本松中央北。現在吉富昇さん方付近。条里制(中世)遺称の地名。

Eシゲ

 四本松中部。

Fハスマチ

 四本松中部東より。

Gソイメ 添目

 四本松北西部。中村との境地方。

Hソイメボイ 添目堀

 堀の名

I ソイメイデ 添目井手

 のこしがある

Jネコバシ 猫橋

 一本松西部。猫が捨てられていた。

Kチュウバシ 中橋

 一本松西部。江迎と九丁分の中間にある橋。

Lミツカ

 一本松西南部。江迎との境。

Mタッチュウ 立中

 一本杉南部。

Nウウボイ 大堀

 三本松と四本松の間。公民館西側より北へ。

Oヨコシンボリ 横新堀

 一本杉南部。

Pヨコシンボリイビ 横新堀井樋

Qヒガシダ 東田

 二本松川の東に五丁部位ある。

Rキョウデンマガリ(『上峰町図』より)

 東の土手が西へ曲がっている地方。田中のうち。

Sカメンクウ

 九丁分との西南境。江迎のうち。

㉑ナカイビ 中井樋

 四本松上部。切通川の井堰があり水取口。

 

2 水利と水利慣行

 九丁分では切通川をはさんで西部と東部に分かれている。

 西部の方では@の弁社山にある取水口と㉑の中井樋の2つの取水口から水車を使って切通川の水を汲み上げていた。@の取水口からは中村、㉑の取水口からは江迎、八枚、江越の方へも生活用水として一年中供給していた。

 西部の下方では上峰町の上部地域が切通川の水を使ってしまうので、切通川の水は水田用には使用できない。よって、淡水灌漑を利用していた。三根町では塩分が多すぎるため、淡水を利用することはできないが、上峰町の方では利用できるようになる。Sのカメンクウの辺りから淡水を汲み上げて、Pの横新堀井樋から九丁分へは供給している。淡水は、中村、九丁分、江迎、八枚、江越、碇の六部落共同で使われていた。過去に水争いもなかたようである。

 5月末頃から井樋番が1,2人ぐらいで23時間かけて取り入れていたようである。特定の日は決まっていなかったようだ。水は六部落に供給するが、井樋番は九丁分だけで担当しており、手当は昔は米3斗、今は12,000円である。

 東部では上方の中津隈などからのもらい水に頼っていた。

 現在では西部の方は現在の地図の印の1,2のところから溜めておいた水をポンプで汲み上げている。昨年はこの溜池でなんとか困らなかったようである。東部の方は3のポンプのところからのもらい水に頼っている。あと、上峰町の上部地域で汲み上げられている地下水が浸みだしてくるので、それを利用している。数年後は筑後川から水をひく計画もあったようである。

 耕地については、九丁分では取れ高などにもほとんど差はなく、全部裏作も可能である。取れ高は米は1反につき60×8kg、麦は1反につき60×4kgぐらいである。

 共有林は@の弁社山のところにある梅林だけである。

 村の姿で変わったところは、昔は専業農家ばかりであったが、現在では兼業農家がほとんどであるということである。今後の農業の展望はかなり難しい状況のようである。

 答えた下さった方は、上峰区長でいらっしゃる昭和7年生まれの島學さんでした。



戻る