三養基郡上峰村井柳地区】

歴史と異文化理解Aレポート

 1AG95033 大司麻里子

1AG95074 垣内 麻里

 

 

@しこ名について

田ん中<  >は小字。

<土井辺>どいばた

 なかしま       土井辺の南側(あげち側)のことを言う。

 まえだ           土井辺の集落(部落)側をさす。家の前にあることからこう呼ばれた。

<八ノ坪>はちんつぼ

 あげのうち    「あげち」側を指す。「あげち」の内側にあることから。

 みずいけ       「はちんつぼ」中央部を指す。起源は不明。

 にし側           「はちんつぼ」の集落側を指す。集落の西にあるから。

<くすがもと>

 うらだ           「くすがもと」全体を指す。集落の裏にあるので。

<会坂井>かいざかい

 長瀬(下図参照。図省略:入力者)。残りの部分を「会坂井」と呼ぶ。「会坂井」は一種のしこ名。

<六瀬町>ろくせまち

<その他>

 びんじぇ       大隈さん宅が三田川町にもっていた畑のこと。

じょうりく    「びんじぇ」が圃場整備によって家の近くに移ってきたもの。

 この外に井柳の範囲ではないが、大隈さんが「おもしろいしこ名があるよ」と言って教えてくれたものがある。

     かんたろう

     おりょうやなぎ

     はっただ

     さんげ 以上下米多のしこ名。

 

井樋

 ・かたおて

いび1(地図参照)のこと。「かたおとし」のことだろうとのことだった。

いび2はそのまま「いび」と呼んでいた。

     水路(クリーク)については「ほり」としか呼んでいなかったようである。これは私たちの推測であるが、取水する水路と排水する(「おとす」と言う)水路がそれぞれ1本だったため、「ほり」で事足りたのではないだろうか。

(図省略:入力者)

ほり@から取水し、ほりAor井柳川に排水するしかない。つまり、取水するほり、排水するほりは決まってくるので、「ほり」と言えば分かったのではないだろうか。

 

・水利について

 井柳の水田にかかる水の供給源は井柳川のみである。取水口となる井樋は「いび」(地図でいう「いび1」)で、その水をほり@とほりAに分ける分岐点となるのが「かたおて」である。取水は個人個人で適宜行っていたとのこと。

 今はもう利用していないが、井柳川のゴミも肥料として利用していた。そのゴミの所有権は「自分の田ん中の前のゴミだけ」ということだった。

 

1994年の旱魃について

 「いび」(いび2)からの取水はできなかった。この年だけ有明海が満潮のときに井柳川に流れ込んでくる「しお」をポンプで汲み上げて利用した。この取水については集会を開いて話し合いをしたとのこと。

 以前は三根に堰があったため「しお」が上がってくることはなかったが、洪水防止のために堰が取り除かれたので、上がってくる「しお」を利用していたらしい。

もし30年前に同じような旱魃があっていたら、田ん中は干上がるしかなかっただろうとおっしゃっていた。

 

村の耕地について

 井柳には乾田はなかったが、良い田と悪い田というのはあったらしい。良い田というのは場所で言うと、会坂井、みずいけで粘土質なので、水もち肥料もちが良い。悪い田は六瀬町、土井辺で砂状であった。

 

談話

 話の後、車で田ん中を案内してくれた。話のとおり田ん中の高さの違いなどがはっきり分かって感動した。田ん中をまわっているうちに水がいっぱいたまっているところがあった。あれは何かと尋ねたところ、減反によるものらしかった。減反によって田ん中を畑に変えてイチゴを作っているとも言っていた。これもしこ名と言ってよいのだと思うが、その畑を「いちごのだんち」と呼んでいるそうだ。

 以上のことを主にこちらから質問して答えて頂くという、質問形式で教えて頂いた。

 

尋ねた方

 大隈安男さん 大正14年生まれ(70)



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