【三養基郡上峰村郡境地区】 歴史と異文化理解Aレポート S1-26 1AG95029■ 井上竜一 1AG95019■ 石井信輔 しこ名調査で弥永忠清さん(昭和4年生)を訪問した。弥永さんは昭和13年に郡境に来てから50年以上この地にいるそうだ。郡境にくる前は上坊所にいたらしいが、戦争のため疎開してきたらしい。 まず水田のことについて聞いてみたのであるが、「上峰SATY」という店のために郡境の水田はほとんど買収されてもうなくなってしまったとのことであった。弥永さんの家の裏にも水田があり、そばには溜池があったそうだが、今ではその溜池も埋め立てられた。水田は一応登録はしているが畑として使っているそうだ。 しこ名については「私たちの年代ではちょっと分からない」と答えた。そこで僕たちは高齢の方を紹介して欲しいと尋ねたのだが、高齢の方はほとんどお亡くなりになってもういないそうである。郡境には一人高齢でウラベさんという方がいらっしゃるたそうだが、その方は言葉が話せないほどにご老体であるらしい。だから農家の方にも尋ねたが「上峰SATY」等の件で農家の方もあまりいないらしい。 外部溜池の所の水田は今はトラック運送業の敷地となっている。僕たちは困ったのでもう一度しこ名について尋ねたが、別にしこ名はないとのことであった。 そこで話題をかえて水利のあり方について尋ねた。各各の水路には外部溜池から引かれた水が流れている。上峰SATYができる前にあった水路は今は地下を通して現存しているとのことだった。 現在水田はほとんどないので、水路の水に気を遣うこともないそうである。 去年の水対策についても水田がないので別に何もやっていないということであった。 最後に今後の日本の農業について聞いてみた。弥永さんが言うには、日本の農業の今後は高い生産コストをいかに安くするかということにあるとのことだった。 今回の調査で僕たちはほとんど目的を果たせなかったが、このことは何らかの足しになったと思う。 |