【三養基郡上峰村江越地区】 歴史と異文化Aレポート S1-27組 1AG95083■門脇正行 仮屋真之
水田のしこ名 かわらや れんがや しょうばら かじのめ こもいけ よこまくら どうじょう じゃあら 五丁田 けんどう たっちょう てんぞう 堀のしこ名 しょうばらぼい よこまくらのほい たっちょうぼい ひしぼい ねこぼい 村の水利 アオは自然の力ではなくポンプで汲み上げていた。ポンプは大正末。昭和9年に個人の家に発動機が入った。大正12、13年に人間よりも大きな30馬力ぐらいのモーターが置いてあった。 昔は足踏みで水を上げていた。 水門は江見手の水門を使っていて、潮が入ってきて真水を押し上げていた。 潮がふとかった時は少し潮が入っていた。 しょうばらぼいの所に井樋があって、そこから潮が入った。 水は豊富で争いはなかった。 勘太郎川から前牟田はポンプでアオを取っていた。市武もポンプでアオをとっていた。 アオは潮が満ちているときだけ取っていた。 江越から上の村は上流なので、アオが川から取れなかったので上からの水を溜めていた。 戦後すぐ後まで堀の水を濾過して飲料水としていた。 昨年の水不足について 昨年は水の塩分が高くなっていて(0.3.単位不明)、イチゴには使えなかった。しかし稲は強いのでその水を使うことが出来たので水は大丈夫だった。 村の耕地 今の田んぼは昔から田んぼだった。 田んぼは乾田。 米はヒノヒカリ、レイホウ、餅米。 イチゴを作っていて(11月〜5月)、品種はトヨノカワ。 昔は26戸中15戸ぐらいがい草を20年ぐらい作っていたが、機械がなく手でやっていて面積も小さかったので今はすべてやめてしまった。 今後の農業 共同機械だと自分の思うように作れない。カントリーエレベーターに合わせて作らなければならない。 麦も同じものを時期をずらして作っている。 米、麦は収穫量が計算して分かるが、それだけでは食べていけない。 その他 橋はどろ橋で壊れたら架け替えていた。 ねこ橋は戦車が通っていたらしい。 舟で天草からカライモ(サツマイモ)を売りに来た。 レンガも満潮を利用して舟で運んでいた。 江見から舟が入ってきていて、江見から舟に乗って有明海に潮干狩りに行ったこともあるらしい。 佐賀戦争(江藤新平が起こした)のときの鉄砲の弾が当たったところもある。 昔は八枝の方と共に一つの区で、区長も一人だった。 4,5軒ほど堀の近くに燃料節約のため、共同風呂があった。 田んぼの一段下に部分的に開(ひらき)を作ってゴミを上げておいてそれを肥料にした。ヘドロがたまらなくて一石二鳥だったらしい。しかし、開は圃場整備のときになくなった。 今は勤めながらもできるので専業農家は2軒だけで、昭和49〜50年の圃場整備で1年ほど農業が休みの時に勤めをはじめた人もいる。 機械は共同で使っている。 お話を聞いた方々 江越静夫さん 昭和2年生まれ 江越春夫さん 大正12年生まれ |