三養基郡上峰村前牟田、坊所新村地区】

歩き、み、ふれる歴史学レポート

S1-26 1AG96001 浅村佳代子

1AG96016 糸山久美子

 

 協力者 大正8年生まれ 鶴田治夫さん

 

7/13()の行動

 バスを降りた後、まず坊所新村へ行き、田んぼで働いていた女の人(60歳くらい)にしこ名について尋ねたが、その人は知らなかったので説明すると、「70歳以上の男の人しか知らんやろうね」とおっしゃった。

それから歩き続けて前牟田へ行くと、仕事が終わったらしい男の人(6570歳くらい)が自転車でこちらへ向かってきたので尋ねてみると、「そんなら家で説明すっけん来んね」と言われ、私たちは言葉に甘えることにした。その方の名前は鶴田治夫さんという。

 鶴田さんの家には去年も水田などについて調査するために来た学生がいたらしく、私たちの質問に分かり易く説明してくださった。

 

@しこ名

 鶴田さんは、この地区がまだ長崎県であった頃のものと、何十年か前のしこ名が記してある地図を持って来て見せてくださった。

 *提出用の地図には後者の方を参考にして記入した。(地図は佐賀県立図書館所蔵)

 現在ではしこ名を使うことは殆どないらしく、堀や、しいど、しこ名もないとおっしゃられた。クリークの特別な呼び名もない。

 

しこ名の呼び方

・府多ノ坪           ふたのつぼ

・四本松              よんほんまつ

・大坪                  おおつぼ

・屋敷坪              やしきつぼ

・一本谷              いっぽんだに

・三反田              さんただ

・大矢坊              おおやぼう

・七反田              ななたんだ

・屋敷ノ内           やしきのうち

・祇園町(祇園さん)            ぎおんちょう

・一本桜              いっぽんざくら

・舘                     やかた

・姥井鶴              鶴田さんは分からないと言われた。

 

A水利のあり方

・筑後川で満潮の時に逆流してくる真水をクリークに貯水する方法

 この地域 東・西前牟田、坊所新村は、あお(淡水)のおかげで昔から増水しすぎたり、旱魃になったりすることがなく、どこでも毎年一定量の(生活するのに十分な)米がとれるそうだ。つまり、水に関する心配事はないということだ。平野ということが大きな利点となっているのであろう。(山付近では水が引けないから)

     期間 

4月から10月まで

     日にち 

1ヶ月に2(旧暦の朔日と十五日)

満潮になり、高さ3m程にたまる。

     時間

 4〜5時間

     どこから

 昔は白田(しろた)だったが、現在は福岡の芦塚(あしづか)から。

     何人で

 当番制 二人。今はコンピュータがあるから一人ででも出来る。

     井樋番の手当

 その部落から米12升。1=1.8l

     ゴミとりについて

 1年に2回くらい公役で田んぼ1反につき何人と決めてからゴミとりをしていた。

 その当時の手当は一日米1升

 



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