【三養基郡中原町新宮田地区】 中世の村と人々レポート 経済学部経済工学科 1EC94210■ 板橋直樹 1EC94229■ 門田一隆 私たちは、12月22日に実地調査に行きました。1日の行動を書きます。 10:00福岡を出発しました。 12:00目的地(新宮田)に到着、この地域は、今では工業団地に変わっており昔(地図)とはかなり容貌を変えていました。そこで、はじめに、一番古くから在住されている方を訪れました。しかしながら、おじいさんがおられなかったため、再度訪れることを約束して食事に向かいました。 13:00佐賀のアーケードにて中華料理を食べる 14:00再度、先に行っていた家を訪問。おじいさん(推定85歳)は帰ってこられましたが、耳が遠くなっており調査を拒否されました。そのため、次に年をとっている方(推定60歳)に頼んでみたところ次のような話を聞きました。 新宮田のあたりの昔から在住の方は3戸数しかなく、あとはみな新しく来た方だと言われました。また、その方の話によれば、そのあたりの田んぼのしこ名は田んぼの持ち主に由来した名で適当につけられていたと言われました。 結局有力な情報を得ることはできませんでしたが、ここでもう2つの家を紹介されました。1つの家はあいにく留守でおられませんでした。もうひとつの家の方はここの家の方も一押の方で宮地初二さんです。この方は、新宮田かちは少し離れた目達原というところに住まれている方でしたが、結局のところ得られた情報は同じようなものでした。 結局ほとんど情報を得ることはできませんでした。(先生にもらった地図と同じ情報でした。地図以前の情報についてはしっている人がおられませんでした。 16:30次なる目的地(山田)に向かいました、ここでは、歩いている人に区長宅を聞き出し区長を訪れました。ここの方は昔のことをよく知っておられてたくさんの情報を得ることができました。それについは、別紙に記載しています。 18:00福岡に向けて出発。 19:30帰宅 |