【三養基郡中原町香田地区】 歩き、み、ふれる歴史学レポート 1AG96004■ 綾部滋子 1AG96247■ 山口朋美 調査日 12月21日(土) 聞き取りをしたおじいさんの名前 香田区長 綾部安行さん 昭和13年生まれ 58才 この方を含め4名。スミマセン、名前を聞くのを忘れました。 しこ名 私たちが調査するように言われた赤岸、鳥の巣はそれ自体がしこ名である。 赤岸、鳥の巣は公図には載っていなく昔から現地の人々の間で呼ばれていた名称である。しつこく聞いてみたが、やはり赤岸は赤岸、鳥の巣は鳥の巣としか呼んでいなくて、他に特別に名前などなかった。 しかも、赤岸、鳥の巣の位置が地図では逆になっていた。 赤岸、鳥の巣は香田地区の中に含まれている。赤岸、鳥の巣の字名は目明谷(メアケダニ)。 水の利用 ・寒水川……一の瀬水路 中原町全体が利用 ・水争い有……10数年前まで中原町の上と下で水争い。よく分からなかった。 ・理由……上流の方で水をとってしまって下流の方に水が来ないことが原因。 ・決まり事……一週間の内、4日は上流区域、3日は下流区域が水を利用すると決めている。日数は週によって変更される。 ・ 内香田2つ 香田地区利用(共同)→水争い無。灌漑用溜池のため 外香田1つ 一の瀬水路 参勤交代の中原宿があり、馬の足洗場のためにできた。水量を調節するための「かげん石」を動かすと打ち首になった。 目明谷 目明谷とは名ばかりで実は昼なお暗い谷なので、地元では「めくら谷」と呼ぶ人もいる。 1994年の水不足の時には この地区(香田地区、赤岸、鳥の巣を含む)には利用している溜池が6つもある。 また、近くの山林のおかげで寒水川は結構水が流れていた。寒水川の水がなくなったら、ため池を利用していた。完全に枯渇したのは特になく、平年並みの収穫であったらしい。しかも、この地区では一週間に1回でも水を与えれば大豊作になると区長さんは言っていた。 現在の香田地区 現在は住宅建設のため田が減少。長崎自動車道が通っていた。 また、減反政策をとっている。 この地域は ・ 昔の遺跡(墓)が残っている。 ・ 大塚古墳がある。 一日の行動 AM 8:30 六本松キャンパス東門集合 PM 0:30 中原町到着 1:00〜2:30 区長宅訪問 2:30〜3:30 近所へ聞き取り 7:00 六本松キャンパス着 感想 区長さんはじめ現地の人々はとても優しい良い人たちばかりだった。私たちが尋ねるとしこ名のイミを理解してくれず、かなりしつこく聞きまくった。 鳥の巣と赤岸は本当にしこ名はないのかとかなりしつこく聞いたがやはり無いと言われた。本当にしつこく聞いて、これが精一杯だった。 私の名字と区長さんの名字が一緒で「先祖が一緒」と言われた。 人家も田も少なくひっそりとしていたが、とても良い所だった。 現地調査も行ってみるものだなあ……と思った。少しきつかったが楽しくもあった。 |