【三養基郡中原町原古賀地区】 中世の村と人々レポート LU-13 有働、池田、市木、岩崎、吉永 1 地名の聞き取りの内容 別紙の地図に書いてあるとおり(地図省略:入力者)、「ちょうせい」と「ひどう」のみが分かった。また、「めがね橋」というしこ名の付いた橋と、「めくらおとし」と呼ばれていた坂があることもわかった。 2 水の供給源 我々が調査した地域では、一の瀬配水から9つの部落に水が供給されていた。7月4日から9月24日まで下記のように取り水を分けていた。 綾部(6,895石)……4日 綾部上地(4,016石)……2日 原古賀(7,152石)……3日 東寒水(3,998石)……3日 西寒水(4,016石)……3日 中津隈東(13,687石)……7日 中津隈西……4日 西尾……1日 東尾……5日 江口……6日 なお、水をとる順番は毎年抽選によって決められ、午前6時〜翌朝の6時まで供給された。また、費用の負担は部落の戸数によって割り当てられていた。さらに、一の瀬番料(水門の門番に支払われるお金)として原古賀は米8升3合分の金を支払うことが決められている。 |