歩き、み、きく歴史学レポート 元村智子、由地真起子 調査地 佐賀県久保田町 麦新ヶ江、福島 調査相手 麦新ヶ江…横尾信雄さん(S5.12月生) 福島…複数の方々(前日になって予定していた方に断られたため) 行動記録 AM 11:00 麦新ヶ江着 11:10 横尾さん宅着 U 調査 12:00 横尾さん宅発 U 近くで昼食 13:30 U 福島で調査 15:30 調査終了 16:00 現地出発 ここからの内容は全て麦新ヶ江の横尾さんからうかがった話です。 (福島では知っている方がいらっしゃいませんでした。) ・水利について 麦新ヶ江の水田にかかる水はすぐ東側を流れている嘉瀬川から引水されていて八筋堀に溜められていた。(現在、八筋堀は一本おきに道路に変わっている。)また、井樋は、前門井樋、八の坪井樋などが使用されていた。 ※ けんか井樋…麦新ヶ江とそのすぐ南側の新田という村の間で、井樋をめぐっての争いがよく起こっていた。その井樋のことを人々はけんか井樋と呼んでいたそうだ。 ・水田について 麦新ヶ江の中でも東側の田の方で、よく稲が育つそうだ。裏作として、小麦を作っている。戦前は肥料として鰯などを使用していた。また、15年前と4年前、大型の台風によって全く収穫のなかった年もあった。昭和38年から圃上整備が始まった。この付近では、久保田町は最も早く整備が始まったそうである。 ・1994年の旱魃について 1994年の旱魃では、麦新ヶ江でも水不足に悩まされ、ポンプ車十数台を用いて嘉瀬川から水を汲み上げていて、時間給水も行われていた。水の不当な汲み上げを防ぐために、交代で水番を務めた。(呼び名はなし。) ・今後の農業について 最も困っている問題は、やはり自由化と後継者不足であるようだ。自由化にともなってハウス栽培も行われるようになった。後継者不足は特に深刻で、久保田町では20代の農業従事者は5人もいなくて、30代が14~15人で40代以上がほとんどである。中には、1人で14丁もの水田を請け負っている人もいるそうだ。また、最近では、嫁不足という問題も起きている。 〜感想〜 生まれて初めて農業に触れる機会になって、とても勉強になった。ニュースなどで農家の抱える問題をみていても人ごとのように思っていたが、初めて身近な問題として考えることができた。今後、久保田町だけでなく、日本全体において農業を続けていくのは、大変難しくなるだろうと思う。 しこ名調査の際、「家族の間などで通用する名前を教えてください」といって聞いたのですが、古い昔の登記簿のようなものを準備して下さって、それを話して下さいました。先生の意図するものとは、多少ずれてしまったようですが、水路については、良い話を聞けたと思うので、御了承下さい。 |