歩き、み、ふれる歴史学 レポート <調査者> 佐久間康代 佐藤由貴子 久保田町(新田、横江)
聞き取りした人の名前と年齢 夏秋キクエさん(90歳) 水野四郎さん(67歳) バスを降りて、私達はまず役場周辺の集落の人達にお話を聞こうと北の方へ向かいました。途中、道路の両側には新しい住宅地が広がっていました。まず、役場周辺の農家を一軒ずつ訪ねましたが、この辺りの農家の人達は40~50歳と思われ、田ん中について詳しい人達がいなかったので、作業は難行する眺しがありました。訪ねた家ごとに、「この辺には田ん中について詳しそうな長老の男性はもう亡くなられているので、役場に聞いた方がいいのでは?」は言われていましたが、そんな中、この町で最長老の、この町に稼いで70年になる90歳のおばあちゃん、夏秋キクエさんからお話を聞くことができました。 夏秋さん話によると、昔は小さい田ん中がたくさんあったのだが、今では機械化が進み、大きな田ん中へと整備がすすんでしまったそうです。水のくみ上げも、ポンプで行い、それから、各田ん中へ配水されているということでした。ゴタンドコロ(五反所)は以前、おばあちゃんが作業していた田ん中で、広さが五反あったということが、このようなしこ名のついた由来なのだそうです。これは、今の呼び名なのですが、おばあちゃんの家の、すぐ向かいの田ん中を「前田」と呼んでいるそうです。 「畑で農作業をしている男の人たちが田ん中のことに詳しい」と聞いたので、一通り役場周辺の農家を訪ねてしまってから、私達は役場の南側の畑へ行くことにしました。田ん中の小道を歩いていくとそこでネギを作っていたおじさんに出会いました。私達が田ん中のしこ名について尋ねると、イチノカク、ニノカク、サンノカクの大まかな位置や水路のことについて詳しく教えて下さいました。しかし、今では水路の位置が昔と違ってしまい正確な位置はよく分からないということでした。また、この辺では田ん中のしこ名をそのまま水路の呼び名としても使っているそうで、しこ名は田ん中と水路の両方を指すものであるようです。ここで使われている水の源は村の東側を有明海へと流れ込む嘉瀬川の水なのだそうです。また、最近イチノカクの北側に新しい道ができ、その道の北側の田ん中のことをカワナカと呼ぶようになったということです。このおじさんに名前と年齢を聞こうとしましたが、とても忙しそうですぐに仕事に戻ってしまい、聞けませんでした。 この後、しばらく田ん中を歩いて回りましたが話を聞けるような人が見付からなかったので、今度は横江の方の集落で話を聞こうと南の方へ行きました。 次に訪ねたのが、水町四郎さんのお宅でした。ここでは、水町さんご夫妻にお話を伺うことができました。水町さんは、今まで聞いてきた県道よりも東側のことはもちろんのこと、西側の田ん中のしこ名についてもご存知でした。また、小さなほいのことを「エゴ」と呼ぶことや、田ん中と田ん中の境のあぜ道までもを耕やして田ん中として利用していたこと、その部分を「サガリ」と呼んでいたこと、「大字新田(オオアザシンデン)」というのは、県道よりも東側の田ん中を総称して呼んだことで、それが今では部落名として使われていることなどを教えて下さいました。 他にも、たくさんの農家を訪ねましたが、それまでに話を伺っていた事以外には、収穫がありませんでした。私たちが調査した村は周囲が水田に囲まれていて農家の数も少なく、またお年寄りの方も少なかったため、初めはこの調査がうまくいくかとても不安でしたが、この周辺の農家をほとんど全部訪ねることで一応調査できるしこ名は聞き取りできたのではないかと思います。 |