【佐賀市久保泉町下泉下四番組地区】

歩き・み・きく歴史学現地調査レポート

農学部S1-31 1AG95251 森下大史

         1AG95274  渡辺希

聞き取りをした相手:坂井竹次(82才)大正2年生

 

地図中に赤く境界線を引いて囲んだ部分がこの“下四番組”の範囲であり、水色で着色した部分が水路です。

 

・しこ名について (地図は佐賀県立図書館所蔵)

 地図中に茶色で着色した部分;一本( )

 地図中に黄緑色で着色した部分;一本柳( )

 地図中に緑色で着色した部分;三本柳( )

と呼ばれている。( )の中には様々な数字が入り、例えば今回話をうかがった坂井さんは“三本柳64”という田んぼの耕作を受け持っていたそうですが、これは三本柳1から三本柳64という、1から64の数字の付く田んぼ全てがあるというわけではなく、( )の数字はかなり適当に存在していたらしいです。また、これらの呼び名はかなり昔から使われていたらしく、由来はわからないとのことでした。

 

・水利について

 下四番組で使用する水は、神埼(かんざき)にある横落川(よこおちがわ)から引水されているそうです。溜池は利用はしているが、名前は特にないということです。また利用している井堰は三千石の井堰と呼ばれており、かつて成富兵庫繁安公(なりとみひょうごしげやすこう)という人の指導によって創られたそうです。この用水は八子村(やごむら)との共有であり、昔から上流の神埼地区と下流の久保泉(くぼいずみ)地区での水争いが起こっていたということです。下流になる程水利用に対する負担金が多くなり、けれども水量は上流地域の方がずいぶん豊富だったそうです。これを改善するため、下四番組よりももう少し下流の地域に神護池(こうごいけ)という池をつくり、計画ではこの池まで水を豊富に引いて、いったんこの池に水を溜めておいてから下流地域に配分する、ということで建設費も徴収しておきながら、この計画が実行されることはなかったそうです。また、実際に行われた改善策としては、水利用に対する役員を選ぶ際に理事長は必ず下流地域の住民から選ぶということがあったそうです。

 

・昨年の水不足について

 地図中の○で×を囲んだ地点には11年前に掘った深井戸があり、これを利用したため、収穫高にたいした影響はなかったそうです (地図省略)。しかし、過去何年も前には去年以上に水不足の年もあり、その時は水路の掃除を徹底的に行って水路を流れる水を少しでも有効に利用できる様な工夫をしたそうです。

 

・田んぼによる収穫量の差について

 南よりの田んぼ、地図中で緑色の斜線を引いて示した田んぼが、粘土質で肥料持ちが良いため、肥えていて収穫量もよいそうです。反対に、北よりの田んぼは砂質で肥料持ちも良くないため、やせているそうです。砂質の土壌を改善するためには、ケイ酸やケイ素を加えて肥料持ちがよくなる様に工夫しているそうですが、両方の田んぼにそれほど大きな差はないということです。



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