歴史と異文化理解A 調査報告レポート <調査者> 山本忍 吉岡潤樹 <シコ名一覧> 先野掘…さきのんぼい 円面…えんめん 亀掘…かめぼい 円面院…えんめんいん (円明院:読み方同じ)と言った人もいた 野掘…のんぼい 野開…のびらき 通外…つうげ 四ノ坪…しのつぼ 三ノ坪…さんのつぼ 深町田…ふかまっだ 十八…じゅうはち 十七…じゅうしち 北出口…きたんでくち 新橋…しんばし 東出口…ひがしんでくち 東出口の高田…ひがしんでくちのたかだん (東出口の東半分の少し高くなっている田ん中をそう呼んだ) 六地蔵…ろくんぞう 裏橋…うらはし (浦橋) 館屋敷…たちやしき 屋敷…やしき 観音屋敷…かんのんやしき 梅屋敷…うめやしき 福頭…ふくずう 二十四…にじゅうし 回町…めぐりまち 一本松…いっぽんまつ 掘について ほとんどの所は、近くの田ん中をとって「〜ん掘」と呼んでいたそうだ。 (例)十八掘(じゅうはちぼい)、十七掘(じゅうしちぼい)etc. 橋について 松丸橋…まつまるばし 裏橋…うらはし 通外橋…つうげばし 十七橋…じゅうしちばし 円面橋…えんめんばし 北出口橋…きたんでくちばし 十四橋…じゅうしばし 二十四橋…にじゅうしばし 田ん中に水を引き込むポンプについて 特に名はついていないが、 増田宿…ますだしゅく 百馬力…ひゃくばりき の2ヵ所には名があった。 道…女道…おなごみち <水利について> この増田は「あお(潮位増により上昇した川の淡水をとること)」灌漑をしていて、佐賀江(さがえ)から水をひいていた。樋は2ヵ所、先野掘のすぐ近くと、増田のずっと東。このうち、先野掘近くの樋はすぐ近くの江上町に住んでいた轟(とどろき)さんという一家が代々樋守をしていた。 今現在は佐賀江からは水をひいてはいないで、S36年にできた北山ダムの水をひいている。また、筑後川からの国有水路の水も完成後はひくようになるらしい。 整備後は全範囲の面積23ヘクタール8反4畝で、1割弱は減畝として、道路や川をつくるのに使われた。 (1反の田ん中をもつ人は整備後9畝の田ん中になった) |